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ひとこと
手作りという名の幻想
アジサイの広場
あずさあすな中3
 好きなときに好きなだけ機械でものが作ることができる現代の日本で、手作りで作るものが見直され
ている。しかし、一昔前なら日本昔話に出てくる弥平さんとかが使っているようなどじょうすくいの
道具が今では工芸師の手によって、特産物や、超高級民芸品として街に出回っている。こんな時、これ
は誰が何のために使うのかと不思議に思わずにはいられない。確かに、手作りは良いイメージがある
が、「手作り」だからこそ手が抜かれているのではないかと私は思うのである。
 ツルの恩返しでは、お爺さんに助けてもらったツルが夜な夜な自分の羽を使ってお爺さんのために
心を込めて布を織っていたという話だが、手作りといっても相手が分かって作っているのと、わから
ないで作っているのでは、心の込めようが違うと思う。だからこそ手が抜かれているのではと思うの
であり、それなら機械が手を休めずに作ったものの方が良いと思う。また、それとは別に「趣味とし
ての手仕事」がは流行りだしているのは、趣味なら相手を思って作る事ができるからなのかもしれな
い。
 機械が作るものも、中にはお人形の目が違うなど欠陥があったりするが、それが手仕事にしたところ
で、どうにかなるわけではないが、手仕事にも手仕事であるから悪い事があるわけだし、機械に頼っ
てしまった方がいいのかもしれない。