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日本と西洋
イチゴの広場
ドリカムうせ中2
 ありのままをくどく述べるのは興ざめだとされる淡泊好みの通人たちが考え
た出した詩型が、和歌であり俳句である。和歌の形式は、日本人の感性、言語
、思考を決定するほどの力を持っていて、女流が多かった。短詩系文学を生ん
だのは、風土的因子によるものと考えられている。和歌と俳句が良く似ている
ところは、言葉の論理に背を向けていることである。理屈で説明しようとする
とすればおそらく何十枚もの文章を必要とする。それでもけして言い表せぬも
のを、凝縮させている。芭蕉は、「完結した表現、整いすぎた言葉は詩になら
ない」と言っている。
 
 私と母とでは、好みが反対である。母は、漬物と言った日本食、私はステ-
キと言った洋食が好きである。母は、漬物があればご飯が何杯でも食べれると
言うが、私は考えただけでぞっとする。それよりも、お肉や、こってりしてい
るものの方が、ご飯が進むと思う。
 
 日本食は、素材の一つ一つのうまみを最大限に引き出すために、味が薄いし
。また、盛り付け方もとてもすっきりしている。反対に、洋食と言えば、いろ
いろな香辛料を使い味が濃く、盛り付け方も手の込んだ芸術みたいなものだ。
 
 また、庭や家の中を見ても、古くからある建物を見れば、全く反対である。
日本人が、初めてヨ-ロッパに行ってみたときは、腰を抜かしたと思う。西洋
の方が、手の込んだぜいたくな作りだと思う。
 
 やはり、日本は、西洋よりとても簡単になっているが、「簡単」という日本
の昔からの文化によって、長ったらしい文章を和歌や俳句のように短くなって
しまうし、はっきり言わなくても、日本人の生まれ持った感性で話が進むので
ある。しかし、国際化が進む現代、日本人と全く異なる感性を持つ外国人と交
流するには、日本人と話していた時と同じ話し方では、自分が言いたいことは
通じないのである。
 
 よって、ちょかんに物事を言うよりも長ったらしく言うよりも、「何が言い
たいのか」をはっきりしなければいけないと思う。