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スポーツの勝ち負け
アジサイの広場
遠藤そく高1
 スポーツで勝ち負けにこだわる事はスポーツをやっていくには欠かせない事
だと私は思う。それは何故かというと試合などをやっていく時に勝てばそれな
りに嬉しいので今度も負けないように一生懸命練習するし、負ければ、悔いの
無いように自分は頑張ったけれど自分の実力が足りなかったと思い練習をして
どんどん上手くなっていくきっかけになるからだ。このように勝ち負けにこだ
わっていく事は勝ったほうにも負けたほうにもやる気を引き起こさせるきっか
けになるのである。
 
 私の学校の体育祭は走るような競技ばっかりで全然面白くない。その走る競
技の中での選手の選び方は、小学校の運動会の頃からずーーーっと一緒で速い
人は速い人同士で組み遅い人は遅い人で組むというようなやり方である。この
ように勝負を避け過ぎるやり方では私もそうだったがどうせ同じぐらいの実力
なら何にもやらなくたっていいやと思い練習を全然しなくなってしまう。私は
、「競争は勝ち負けではなく自分が満足できる結果を出す為の物である」と同
じように、速い人とやって負けて自分の実力を知りそしてくやしいのをきっか
けにして練習していくようにした方が同じぐらいの人とやり負け知らずでいる
より結果的には良いと思う。
 
 親が男の子に望む職業の二位がスポーツ選手のように選んだのは将来会社で
働かせるより小さい頃から野球なら野球をやらせた方がそれが楽しくなりその
職業につけばそれが仕事でも勝っても負けてもいつまでも向上心を忘れないか
らだと思うからじゃないかと思った。
 
 確かに勝ち負けにこだわる事はいろいろなきっかけを作るので良いが、あま
りにもこだわり過ぎる事はかえって良く無い事だと思う。それは、私が小中学
生だった頃ぐらいにサッカーで外国のどこかのチームの人が自殺点をしてしま
い熱狂的なファンに撃たれて殺されてしまったという事件が起こったのを覚え
ているからだ。「私達の幸福が、他の人々の不幸に支えられているのであって
はならない」という名言のように、やはりこだわり過ぎず避け過ぎずぐらいが
ちょうど良いのではないだろうか。