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スポーツに勝つということ。
イチゴの広場
酔月あも高3
<MARQUEE> 先週の日曜日、第二小学校付近を通ると、運動会をやっているの
がわかった。そのときに、司会は
 
 「この競技は、<B>自分で</B>選んだ、<B>自分の</B>好きな競技を選んで行
います。」
 
 といっていた。詳細は分からなかったが、どうも最近の運動会の競技は生徒
の選択に任せられているらしい。
 
 将来的にスポーツを選択によって苦手を回避し、勝ちと負けの区別がつくこ
とを避けてやっていくことは、問題となってくる。というのも勝敗が決まって
、初めて現実を直視する事になるのである。敗北を恐れていては、ただの現実
逃避に他ならない。では、現実から逃げないにはどうしたらよいのだろうか。
 
 第一に敗北に屈しない心の強さを身に付けるという方法がある。これには、
負ける事によって勝利の喜びを感じる事ができるという利点もある。この利点
は非理論的で非人格的な情報化社会(山崎正和氏)において、大変新鮮なもの
であることとなりうるのである。
 
 私は日本を代表する運動音痴であるが、この何年間の体育の授業で、得られ
た唯一の事は「敗北に対する慣れ」である。慣れというよりはむしろ、開き直
りに近いのであるが、負けてなんぼの世界となっているのである。そのおかげ
か、サッカーなどで、チーム戦とはいえ勝利が導かれたときには、たとえ私が
グランドの端でちょこまかしているだけであったとしても、大変嬉しいものと
なっているのである。
 
 スポーツが与えてくれるものは、疲労でなく、喜びや悔しさといった感情で
ある。
 
 第二に多くのものに挑み、自分の特性を見つけていく事がある。自分が、球
技が得意で陸上が苦手かもしれないし、あるいはその反対かもしれない。いず
れにしろ、苦手なもので敗北すれば、諦めもつくし、得意なもので負ければ、
技術の向上を求めるようになるのである。実はこれが、能力向上の鍵となって
もいるのである。
 
 43,680億円で世界の億万長者となったビル・ゲイツは、少しまえまでは、ソ
フトウェアで、ロータスやオラクルといったその手の大手に敗北を認めざるを
えなかった。ところが、いまはそのやり方こそ賛否両論あるが、確実にシェア
一位を爆進している。これは、勝利を求める彼の精神が、生んだ結果といえよ
う。
 
 確かに、厳し過ぎる勝敗の決定は、人に動揺を与えるが、それ以上に現実を
知らずに、練習だけをしている私のバドミントン部時代のようなことは、視野
も狭く、井の中のかわずとなりうる。だから、勝敗を決める事は大切になって
くる。
 
 持ち物を気にするのは自分の実力に自信が無いからであるという言葉がある
が、まさにこのとおりであって、スポーツの世界でも、勝敗が決められて始め
て自分の実力に自信がつくのである。よいものをもっていても、曖昧な判断に
よって、その価値を決められたら、やはり、自分の実力が、気になってしまう
なのだ。
 
 勝敗の回避は、自分の持ち物の点検をしない事に等しく、点検されないもの
は、それが素晴らしきものであっても、気がつかない。(N.E.Koyama談)</MARQ
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