ひとこと
時間
アジサイの広場
隆史きね中2
 人びとが時間に追われるようになったのは時計が発明されてからといわれる。日の出とともに田畑
に出かけ、日の入りとともに家に帰って休むというのが当たり前の生活パターンだった。小さな農村
の高齢者は時間ではなく、明け方とか、昼頃とか、夕方というように、おおまかなくくり方で日常生活
で十分間に合うのである。人びとが時間に追われるようになったもう一つの理由は、テレビ画面の隅
に時刻が表示されるようになってからである。時間への関心は、時間の能率的、効率的な使い方に向
かっているような気がする。能率的、効率的でない時間の使い方のできるチャンスをいかにして確保
するかが、多くの日本人の課題であろう。
 ゆったりと時間を味わうことが大事だという考えがある。僕の友達でいつものんびりしていていつも
いつものろい人がいる。だけどその人は誰もきずくないことに良くきずく、なぜかというといつも周り
のことに注意しているからである。そのため小さな箱とかもあったのになくなっていることに良くき
ずくのである。
 しかし、能率よく時間を使うという考えもある。例えば、修学旅行にいく時も遅い電車でいくよりも
修学旅行電車や新幹線でいった方が早くて楽だし、指定席に座れるので寝ていることができるのがと
ても楽だということである。僕の場合も添うなのでそういう楽なことはよく分かる。
 だが、やはりゆったりとした時間を味わうことの方が良いと思う。そのほうが思い出に残ることが
多いからである。「人が旅行するのは、到着するためでなく旅行するためである。」という名言がある
。これは到着するのではなくて、思い出に残せということをいっているのである。