ひとこと
無題
アジサイの広場
寛則えう高3
 今日の日本では、ただ知識を詰め込むだけの教育が浸透していると言われている。確かに、特に小
・中学校、高校では授業で知識を伝授し、試験を受け、詰め込みで覚えたぶん、少し経てばすぐ忘れ
て終わり、という形が多い。
 この教育制度の大きな原因としては、日本国全体の教育の裏には、時間や他との戦いが根付いている
ということが考えられる。これを表す一番の例は受験だろう。特に、本来自分の位置を知るための偏
差値が他人との比較という意味合いに変わってきたため、受験生はいかに早い時間で成績を上げるこ
とができるか、と考え出してしまう。実際、私もこのようにしてなかなか思う通りに行かずあせった
ことがあった。その時は時間がないということで理解を飛ばして暗記主義に走ってしまった。今考える
とそれはかえって逆効果だったとも思える。
 もう一つの例として他国、他企業との競争が挙げられる。特に戦後の日本では、「アメリカに追い
つけ、追い越せ」の精神で成長を遂げてきた。それにより、自動車やパソコンの普及というような時
間の高速化が進んできて、それが教育にも反映してきたのである。
 このような日本教育の知識の詰め込み型を今後変えて行くためには、自分自身で行動し、価値観の持
った人間に育てることが大切ではないだろうか。知識が本当に自分の頭に吸収されるには、その前に大
きな壁が立ちはだかっていると思う。知識をその壁まで引き寄せる事は暗記であって、その壁を打ち
破ってこそ本当に自分のものにしたといえるのではないだろうか。そのためには研究のような積極的
な行動が必要となるが、その自分の物にした量が多ければ多いほど、その人間が大きくなっていくよ
うに思える。
 知識というものは、自分で形を変えることができて初めて自分のものにしたといえると私は思う。
無の状態から行動力をつけたり価値観を持つことは時間がかかるし、又、必ずしもよい結果を招くと
は限らないだろう。しかし、私は大学生活を送って行く中で、目先の結果にとらわれずに自分自身で
行動し、価値ある人間になって行きたい。