先頭ページ 前ページ 次ページ 最終ページ
真の手紙
ウグイスの広場
信長あえほ小5
 僕は手紙というと、メモ用の手帳をそそくさとひきちぎって、これまたそそ
くさともじをかいて相手に渡すという、すごく簡潔な、一連の動作を思い出す
。なぜかそれが本当の手紙だからだ。
 
 良く大人が暑中見舞いや年賀状など手紙をだす。しかしお愛想である、本当
に暑い中大変ですねなどと考えながら、書いているとは思えない。そういう人
が願っているのはお礼に帰ってくるギフト券か、箱に詰めたビールであるはず
だ。
 
 しかし反抗隊が年賀状は何も返ってこないという。だから暑中見舞いもそう
だ。と一気に形勢逆転で真の手紙はやはり!!!
 
 となれば良いのだが、年賀状はあのてがみにっついてくるくじがある。そし
て最後に反抗隊が、それがどうしたと聞いてくるはずである。だから手紙の根
本にあるあいてに文字でこころを伝える意味では簡潔なものでも良いのではつ
くづく思う。
 
 別にきれいなものがわるいと断定はしていないそれが相手に心が伝わるもの
であればやはり付録みたいにきれいにするということが生まれてくる。その食
卓で言うとご飯を食べずにして、すき焼きを食うならず者のようにならなけれ
ば周りを上品にレイアウトするのがよいのだ。手書だろうが機械だろうが変わ
らない一番重要なのは中身だ。例えばラジオを作っていて、塗装ばかり気にし
ていて発売してみたらおもちゃと一緒で何も聞こえないなんてことになったら
大変。
 
 といってみてもやっぱり手書きで書いてある方が良い。手作り和紙と洋紙を
比べたら和紙のほうがいい。しかし今は
 
 「そりゃ、手紙だけどサーそらないべー」などと田舎弁で言いたくなる手紙
が時々、手紙軍団の中の一人の兵としてふんばっていることがある。ズバリそ
の手紙とは絵は印刷で字は手書という奴である。こりゃなかなかのもので、絵
と文章がマッチしていることが多い。でもやはり手紙で大切なのは自分の思い
気持ちを伝えることにある。物事は根本にあるものがしっかりしていないとい
けない。「山高きが故に貴からず」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ホームページ