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異質なもの
アジサイの広場
くみこさく高1
           異質なもの
 
                        磯野久美子
 
 
 人間は社会を秩序化するものとして文化を創り出してきたが、それにはみ出
す部分も当然出てくるため、それを「タブー」として扱っている。例えば、健
康な人間にとっては障害者の人などはこの「当てはまらない物」として分類さ
れることが多い。しかし、このように自分と異なっているものも、受け入れる
ことも必要なことなのではないかと思う。そのためにはどのような方法がある
のだろうか。 まず一つめは、「柔軟な考え方をする」ということである。自
分と異質な物に対して、最初から心を開くということは難しいことであるが、
まだ何も理解しないうちに背を向けてしまっていては、いつまでたっても新し
い物を取り込むことは出来ない。昔の日本人は、外国の文化を受け入れようと
せず、何も知る前から邪道だ、と扱ったらしいが、よく見てみれば外国の文化
にだって自国が見習うべき所はたくさんある。もし日本人がこの典型的「頑固
なお父さん」ばかりだったら、日本の今の発展はありえないだろう。受け入れ
るかどうかはあとで決めればいいわけであり、まずどのような物かを見てみる
くらいの柔軟性は必要なのではないか。
 
 もう一つは色々な角度から物事を見る、ということである。ずっとひとつの
方向から見ていたのでは、その裏側に隠された良い点を見極めることは難しい
。裏側にも良い点があるからこそそれは真の良い物と言えるわけであり、一方
方向からだけ見て良い物というのはまだその時点では真の良い物ではあり得な
い。例えば、世間の中には、身体障害者を気味の悪いようなものと思っている
人もいるかも知れないが、彼らは人の痛みが分かる、という点で健常者よりも
遥かに勝っていることが多い。また、自分の運命に打ち勝ち、強い意志を持っ
た人間的に非常に優れた人もいる。ヘレン・ケラーやレーナ・マリアさんがそ
うであり、また、野口英世なども手が初め不自由だったらしい。
 
 確かに、異質なものを自分の中に取り込みすぎて、自分の個性が失われてし
まっては何にもならないが、やはり他のものの良いところ、優れているところ
を見習うことは自分にとってプラスになることである。また、「雑草とは、ま
だその美点が発見されていない植物のことである」という言葉もあるように、
自分と違うものにも美点を見いだすことも大切なことである。私達は、「タブ
ー」とはここで言う「雑草」のことであり、真の役に立たないだけの植物では
ない、ということを分かっていなければならない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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