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『そこをなんとか』を読んで
エンジュの広場
奈未なみ小5
 「そこをなんとか」という言い方はきわめてあいまいである。しかし、外国
人が理由をあげてたのみを断る場合は、「だから、私は、あなたの願いを引き
受けるわけにはいかない。」という確固たる立場を表明かしているわけで、し
たがって、もうそれ以上いくらたのんでも、応じてくれる余地はない。日本人
のノーは、決して絶対的な不定ではなく、その一部にイエスを含み、イエスは
、その中にノーの要素をあわせもっている。
 
 私は、このあいだ、バスていに四人の友達とならんでいました。そしたら、
一人のこが、おさいふをみながら、
 
 「あれ?私七十円しかもっていない」
 
 と言いました。その人は、私のとなりだったので
 
 「どうしたの?」
 
 と聞きました。そしたら、その人が、
 
 「ねえ。フルちゃん。四十円だけ。貸して。明日ばいのお金でかえすから。
 
 と言ったのです。私は、くちごもりました。なぜなら、学校では、いけない
というきまりが、あるからです。そのひとが、ひっしにたのむので、
 
 「いいよ。」
 
 といってしまいました。私は、いっせきにちょうだからよかったもののその
人の立場になったらなんだかひっしのおもいでいっぱいです。
 
 「どうしよう。どうしよう。」
 
 とふあんです。そうかんがえると、まるで、神様のように、いいことをした
なあ。とおもいました。外人だったら、きっぱりへんじをしてたとおもいまし
た。
 
 このようなことでかんがえると一番たいせつなことは、外人が返事をする時
は、きっぱりいい、日本人は、はっきりことばがいえないということが、わか
った。、
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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