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<font

color="green">●</font>「そこをなんとか」
ウグイスの広場
真沙実なお小5
  「そこをなんとか」を読んで
 
 私は、この「そこをなんとか」を読んで大切な文をぬいてみた。
 
 「そこをなんとか」という言い方はきわめてあいまいである。外国人が理由
をあげてたのみを断る場合は、「だから、私はあなたの願いをお引き受けする
わけにはいかない」
 
 という確固たる立場を表明しているわけで、したがって、もうそれ以上いく
らたのんでも、応じてくりる余地はない。相手の要求を入れる余地がないから
こそ、当人は断ったのである。ところが、日本人は義理人情にからまれてどん
なに明白な拒絶の理由があろうと、相手に熱心にたのまれたら、それをむげに
断るのは、何か気がひけるように思ってしまう。つまり、一切のことがらは、
自体完結しているのではなく、時と場合に応じて伸縮自在の形をとっているわ
けである。だから、日本人のノーは、けっして絶対的な否定ではなく、その一
部にイエスを含み、イエスは、その中にノーの要素をあわせ持っている。じっ
さい、「そこをなんとか」という表現の中には、どのくらい可能性の余地があ
るか、その「残された部分」を両者は見きわめようとし、この言葉が頻出する
わけである。それは「甘え」と思われなくもない。「そこをなんとか」と言えば
、最後には何かが出てくる、と期待するのであるから。日本人は、きめつけを
好まず、いつも融通無碍な可能性を残しておこう、とつめるからだ。
 
 私の、母と父は、外国人じゃないけれど、でもまるで、外国人だ。それは、
ほしいものとかがあったとき母や父に相談すると「絶対ダメ」とか「考えてお
こう」というのだ。でも学校で使う物は買ってくれるけど…。
 
 私は、日本人と外国人は、まったくちがって、日本人は、「んーまぁでもや
っぱり…」とかいってながびいてしまうが、外国人の場合は、「ノー」とか「
ダメー」とかいったりするとわかってきた。
 
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