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最近と言っても
イチゴの広場
YESせし中2
 
 
 アメリカと日本の文化は、違う。アメリカは、子供が大人にあわせる。日本
は、子供に親にあわせる。例えばオーバーに言うとアメリカの場合「あれは、
犬よ。」と赤ちゃんに言うけれど日本の場合「あれは、ワンちゃんでちゅよー
。」などと言う。その結果アメリカは、おとなっぽい子供ができる。それに比
べて日本は、優しい子ができる。最近は、なんか違う気がすると思う。昔は、
子供の時川の形で寝ていたけどいまは、昔からのアメリカ風でベットなどで寝
たりする。このぼくでさえそうだ。もっともっと昔は、川で寝ていたけど。最
近かわったことはない。でも毎日が楽しい訳じゃない。中学二年はチョーチョ
ー大変な時なのだ。あと一年したら受験と言うおそろしーときを迎えるのだ。
負ければ地獄勝ったら天国のようなゲームに向かって生きている。いつもその
ゲームを頭に描いて生きているのかもしれない。行きたい高校もあるしがんば
っている。
 
 ぼくはあたまがとても良い訳でもない。しかし生きている中でいつも燃える
ように努力は、している。誰より負けないほどがんばっている。それは、悪魔
で自分の中で思っている事である。しかしぼくはあきらめない事は、知ってい
る。知らない人は、今からきずけばいい。だってチュートはんぱで終わるのは
、なんか気分が悪いしやだといえばやだ。だから必ず最後までやる。自分の限
界も知りたい。
 
 運も実力のうち。途よく言うけど、ぼくもそうだと思う。何をやったとして
もそうだ。例えば、ギャンブルで例えると勝った負けたもそうだ。大人だとお
金をかける。もうかれば嬉しいと思うもうかるとまたすぐに次のゲームにはい
ってしまう。そしてまた勝つ。そしたら普通はそこで止めるのに、馬鹿な奴だ
とまたゲームをやる。そして負ける。ここまで勝ちつずけたのは、運のおかげ
だ。
 
 運というのは、願ってもしかたがない事なのだ。運だけでなく現実もそうだ
。現実は、いつもまっすぐな道だ。しかしその道を踏み外すとゲームオーバー
みたいな事になる。ゲームオーバー。それは、恐ろしい物だと思う。しかしゲ
ームオーバーになったからといってそこで本当のゲームオーバーでは、ないの
だ。何度でもやり直しは、きく。だからみんながんばている。でもさっき言っ
た「願い」と言うのは、必ずかなう訳じゃない。受験ようかれー。や神様この
ゲーム勝たして下さい。などと心に思ったり言ったりしても。かなわないこと
がある。現実というのは、とても恐ろしいと思う。だいたい願いよかなえー。
途言ったり心で思ったりしてその願いがかなったらこの世は、恐ろしい事にな
ると思う。でもぼくは、夢がある限り願う事にする。例えそれが願わなくても
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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