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知価社会
アジサイの広場
ユウアイねも高2
 業革命以来、技術革新は、内燃機関も電気技術も化学工業も、それが増大さ
せようとして物財生産はみな、数値化が可能なものだった。主観に依存する知
価は、いかにそれが社会化されてもやっぱり数値
化不可能であり、コストとの関係も存在しない値打ちなのだ。
 
 だからこそ、「知価」が重要な役割を果たすような社会――「知価社会」は
、工業社会の延長上にある「高度社会」などではなく、工業社会とは全く別の
「新社会」なのである。
 
 知価社会について考えてみると、今は情報社会になっているがちょっと昔は
工業社会だった。私が聞いた話では、昔の人はご飯にしても量が大事だったそ
うだが、今は、量よりも味がよければいいというような光景があるそうだ。
 
 私が、思うにはご飯は量よりも味が大切といっていても、今の人は、食べ物
を粗末にする人が多いと思うし好き嫌いの人も多いと思う。
 
 確かに、ご飯についていうと量も大切だが、質も大切である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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