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比喩というもの
ウグイスの広場
TERUふり中1
落ちてきたら
 
 今度は
 
 もっと高く
 
 もっともっと高く
 
 何度でも
 
 打ち上げよう
 
 美しい願い事のように
 
 この詩のいのちは、「美しい願い事のように」というすばらしい「比喩」に
あると言える。
 
 「ホントだー。」
 
 私はこの文章を読んでそう思った。もしこの「比喩」がなかったらこの詩は
、もっと他のイメージになっていたと私は思う。他の詩でも必ず「比喩」を使
っているのではないか。
 
 日常生活でも自然と使っている。私はピアノを弾いている。先生の所でレッ
スンをしていると先生は必ず二回は「比喩」を使う。
 
 「ここはウサギが踊っているように楽しく!」
 
 など…。しかしその方が感じが出てくる。頭の中でウサギが踊っているのを
想像してみる。そうすれば弾きやすくなる。私は部活でテニスをやっている。
その先生の説明はよく分からない。
 
 「ここはこうだからこうするんだ。」
 
 と言われても何が何だかよく分からない。もし「比喩」を使って説明してく
れればもっと分かりやすく、出来るようになるかもしれないのに…。
 
 私も学校の授業で詩を書く授業があった。
 
 「必ずたとえ(比喩)を入れよう!」
 
 と、先生がいった。比喩を入れるのにかなり時間がかかった。でも考えてて
とても面白かった。もし上の詩の「美しい願い事のように」ではなく、他の「
比喩」を入れろといわれたら…
 
 落ちてきたら
 
 今度は
 
 もっと高く
 
 もっともっと高く
 
 何度でも
 
 打ち上げよう
 
 雲の上にのせるように
 
 しかし「比喩」は良い事ばかりではない。あまり使いすぎると自分はどう感
じたのか分からなくなってしまう。五年生の時に作文であまりにも「比喩」を
使ってしまったので先生に注意されたのだ。(笑)
 
 「比喩」は人間にとってとても良い事だ。でも「すべてに効くという薬は、
何にもたいして効きかない。」 
 というようにいつでも使えるわけでわない。時と場合によって使い分けるの
である。これからも「比喩」を使って言葉の楽しみをしたいなと思う。 
 
 

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