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ラーメン
アジサイの広場
がっちゃんてな中3
 見テ 知リソ  知リテ ナ見ソ われわれは「知る」と言うことをとても
大事なこととして考えている。しかし、ものごとを判断したり、それを味わっ
たりするときには、その予備知識や固定観念がかえって邪魔になることがある
。だから、まず見ること、それに触れること、体験すること、そしてこれから
の直感を大事にすること、それが大切なのだ、と、言っているのではなかろう
か。では、われわれは知る必要がないのか。これも違う。知識にがんじがらめ
にされてしまって自由で柔軟な感覚を失うな、ということであろう。ものと対
するのはこの世でたった一人の自分だ。自分には自分流の感じ方があり、見方
がある。自分の感性を信じつつ、なお一般的な知識や、他の人びとの声に耳を
かたむける余裕、このきわどいバランスの上に私たちの感受性というものは成
り立たねばならない。
 
 私の田舎は隠岐という島だ。ずいぶん前にTVチャンピオンとかいう番組で
「隠岐の島の海の幸を使って、おいしいラーメンをつくろーーー」とかいう企
画があった。そこには、めかぶのだしをつかったり、サザエをたくさん入れた
り…と、いろいろ工夫されたラーメンを作って競っていて、優勝したラーメン
屋は店を持たせてもらえるという。それを見た母が「きゃあああああああああ
あ!おいしそうだねえ。今度帰ったら何がなんでもあのラーメン食ってやる!
」と、叫んでいた。たしかに、隠岐名産の物ばかり使っていてとてもおいしそ
うだった。そして、ことしのGW。私は田仕事のため、田舎に帰った。ラーメ
ンを食べた!…母が「あ」を10個連発して使うほどおいしい代物ではなかっ
た。きっと言葉の森の近くの桃太郎ラーメンの方が220.8倍おいしいであ
ろう。
 
 聞いた話と自分の感じたことが同意しないという現象は、なにもこれに限っ
たことではない。友達に「ラルクの新曲超いいよ~~~」といわれていざ聞い
てみても「は?」と特にぴんとこなかったり、「なんかさー『STAR WA
RS~EPISODE1~』って、幼稚っぽいらしいよ」と、いわれても見てみたらあ
のSFの世界に感動するかもしれない。いや、きっと感動するだろう。(7月
10日から上映開始!!)
 
 自分が感じた直感は、絶対だ。誰がなんと言おうが自分は自分。こういう精
神でこれから過ごしてみようと思う。人の意見に惑わされずにいくのは難しい
ことだけど、これは本当に大切なことだ。しかし、自分の直感を信じるのは大
切なことだが、人の意見を聞かずに自分の意見を通そうとするのは一人よがり
だと思う。人々の意見に耳をかたむける余裕も、確かに必要だ。「きわどいバ
ランス」の上に立つには、並大抵の人間じゃ無理なのかな、と、思ったりした
。「自分が考える通りに生きなければならない。そうでないと、自分が生きた
通りに考えるようになってしまう」という名言のように、自分の考えを人に合
わせたりするのはよくない。自分が考えた通りに生きないと言うことは、すな
わち人が考えた通りに生きるということ。それは、人の生き方を真似するよう
でいやだ。自分の考えは何よりも大切だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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