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だからコナンはおもしろい
アジサイの広場
がっちゃんてな中3
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 論理が前提としているのは、同一次元での一貫性のある連続である。一筋に
論理の糸がつながっているのが純粋で、美しいと感じられる。しかし、このよ
うに戦々恐々として一筋を守らなくては乱れてしまうのであるとしたら、いわ
ゆる論理とはなんと貧寒なものだろう。人々はいわゆる論理なるものが塩の入
らぬしるこのように間の抜けたものである事を直感的に感じてはいる。口に出
して言うのをはばかっているに過ぎない。月並みの句などということばは、か
すかな平面的連続を敏感にかぎつけてそれを嫌ったものと見る事ができる。
 
 どんな話にも最後というのがある。最近テレビで大人気の名探偵コナン。あ
の話はどんなにおそろしい難事件でもすべてコナンが解いてしまうはなしだ。
事件と言うのはだいたい殺しや監禁など危ないものだが、必ず最後にはコナン
が解決し、エピローグで少々笑いが入る…という寸法だ。
 
 しかし、なぜ絞殺とか、惨殺とか、圧殺、刺殺、撲殺などの恐い事件なのに
最後に笑いという明るい話題がはいるのだろうか。
 
 それは、最後の笑いが大切だからではない。恐ろしい事件のあとに正反対の
ボケを入れる事で、前のコナンがといた事件がより一層引き立ち、話の内容が
しっかりしてくるからである。
 
 このことは世間でもいえる。世の中には、わたくしのように論理的に正しい
まじめな人間と、わたくしのことをやれバカちんだとか、やれアホちんだとか
いう論理的におかしいくるった人間がいる。では、なぜそんな矛盾した人達が
いるのかというと、もちろんそのような人がいるおかげで常識にそっているま
じめで繊細なわたくしがひきたつからなのだ!!…というのはもちろん嘘だが
、論理的に間違った人間がいるからこそ正しい人間が引き立つのは事実である
 
 今では世の中が矛盾を恐れるようになった。数学で先生に指されて言った答
えが違っていたら恐ろしく恥ずかしいということがそれを物語っているはずで
ある。あまり「1+1=2205」などというくるった人はいない。みんなが
みんな「1+1=2」と論理的に答えられるようになってきているのだ。つま
り、将来的には論理的にまちがった人間が激減するにつながる。もしも1人も
まちがった人間がいなくなれば、世間では代わり映えのしないつまらない国に
なってしまうだろう。だからといって、矛盾している人を増やせというわけで
はないが、そんな世の中になる前に、矛盾をおそれない人間になりたいもので
ある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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