先頭ページ 前ページ 次ページ 最終ページ
矛盾という名の愛すべき隣人
イチゴの広場
ペー吉うき中3
 矛盾には、良いものと悪いものがある。我々は悪い矛盾のみを見て、そんな
不毛なものはいらないと論理性に走る。対立や撞着の入る余地の無い一筋の論
理。それを必死で守らねばならないとしたら、論理とはなんと貧寒なものだろ
う。芸術は、この間の抜けたものにはお引取りを願っている。芸術の花に、か
ちこちの論理はいらないのだ。
 
 天使、というモノがある。この言葉を聞いて、大半の人は、人間の身体に一
対の羽が生えた純粋な種族を想像するだろう。神の使いとされている天使は、
それこそ数十に及ぶ種があるが、ここでは単純に前記の「一般的な天使」とさ
せてもらう。さて、この天使という生物。生物学の論理的に非常に無理のある
種族である。人間の身体に一対の羽。つまり、六つの肢を持つわけだが、こん
な生物はまず昆虫以外には見当たらない。しかし、どう考えても節足動物では
なさそうだ。これならばまだ「ちょっと見た目が特殊なアリの仲間だ」で説明
がつくかもしれないが(無理か?)、中には羽が三対の天使というものまで存
在する。お前はナニから進化したのだ、と突っ込みたくなってしまう。そもそ
も、彼らの骨格は飛ぶにははなはだ不都合があり…夢を壊しそうなのでこのく
らいにしておく。しかし、我々はこの矛盾を受け入れている。哺乳類に鳥類の
一部が生えているという時点で不気味がりそうなものだが、むしろ「美しい」
と感じる人間が多いようである。ある種の矛盾は、どこか幻想的な美しさを持
っている。絵画にも、文章にも言えることである。
 
 芸術の分野に限らず、人間の人格にも、多少の矛盾があった方がむしろ親し
みを感じられる。論理に凝り固まった人間は、どちらかというと、敬遠される
方向にある。「あいつのあそこは嫌いだが、ああいうところは好きだ」という
意見。しごく人間的な意見である。誰でも、そう思う人はいるだろう。だが、
そこに「では君は、彼が好きなのか嫌いなのかどちらだ?」というカタい論理
が入ってくると、答えに窮するだろう。人間は矛盾を抱えている生き物である
。コンピュータのような論理のみの存在でなく、人間には「感情」がある。そ
れが矛盾の根源であり、人間らしさであると思う。
 
 「0と1では割り切れない」という言葉がある。どんな数字でも0で割れば答
えは必ず0だし、1ならば確実に割り切れる。しかし、人間の感情やそういった
ものは「0と1」というコンピュータの言語(注:コンピュータのプログラムは
すべて0と1で組まれている)で「それはそれ、これはこれ」と割り切って考え
ることはできない、というやたら数学的で高度な洒落であるが、理解するとな
かなか面白い。我々はそもそも矛盾した存在であり、その矛盾を抱えて生きて
いくということが重要なのである。矛盾。我々の本質であり連れて行くもの。
それ故に我々は矛盾を美しいと感じ、それ故に我々は矛盾を背負うのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ホームページ