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科学におけるる発想と
イチゴの広場
くみこさく高1
「科学における発想と」
 
 マツキノハバチを飼育していたとき、はじめは摂氏25度、次は摂氏16度
で育ててみたが、いずれも何日かすると全部死んでしまった。そこでふと「飼
育温度は一定ではなく、高温、低温と振れなくてはいけないのではないか」と
考え、実行してみたところ、予想は見事に的中し、幼虫は順調に育った。この
結果を学会で発表する際には、「ふと思いつきまして・・・」とは言えず、「
論理的」推理を展開することによって「科学的」体面を保つことになった。こ
のように、科学も技術もふつう思われているのとは異なって、ずっと人間的な
ものなのである。
 
 結果や外側だけみているとすばらしいことでも、実はひょんな事から発明さ
れたり、導き出されたりされていることは多い。例えば、ニュートンがリンゴ
が落ちるのを見て万有引力を発見したというエピソードは有名である。又、み
んなが一度は経験があるように、先生がテストの答案を見て「よく分かってい
るなあ」と思っても、実は鉛筆を転がして出した答えであるという事もよくあ
ることである。結果を導き出す課程は案外あらっぽいものだったりする。
 
 昔話「ブレーメンの音楽隊」で、泥棒たちは窓の外の影を見て、この世のも
のとも思われない恐ろしいばけものだと思ったが、実はただ動物が他の動物に
のってできたものだった。見えた表面上のものと実際のものは必ずしも同じと
いうわけではないのだ。
 
 私達はいつも、形式や見た目にまどわされてばかりいるが、実は見かけ倒し
だったというものが少なくない。見かけがかっこいいからと言って、中身もか
っこいいとは限らないのだ。形式にばかり気を取られて表面の良さにひかれて
しまうのではなく、本当の良さなのかどうか見極めなくてはならない。又、「
真に良いことは、新聞に騒ぎを起こすことなく、小さく始まる。」ということ
ばもあるように、見かけは悪くても、実際は素晴らしいものもあるのだという
事を忘れずに、本質を見極めることのできる肥えた目を育てることが大切だと
思う。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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