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ふつう死は、心臓が
アジサイの広場
武照あよ高2
 ブラックジャックに「生命は神秘的だ」と言い残して、ブラックジャックの
唯一尊敬する年老いた博士は死んでいった。ブラックジャックは生き返らせよ
うと手術を試みたが、結局失敗に終わった。落ち込むブラックジャックの心の
中で確かに博士は言っていた。「人間の生き死にに手を出すのは恐れ多いと思
わんかね。」
 
 これは手塚治虫の「ブラックジャック」の一部であるが、現代において科学
合理主義が人間の可能性を広げはするがそれと同時に「人間らしさ」を奪って
いると言うことは言えるであろう。身近なところで言えば、テレビは我々の視
野を広げはしたが、自分の目で直接見るのでははい、ヴァーチャルな世界を生
み出すことになった。「人間らしさ」に我々はもっと目を向けていかねばなら
ないだろう。
 
 ではどうすれば良いのであろうか。それは我々が「科学とは我々が思ってい
る以上に人間くさい過程によって生まれてきた」ということを理解することで
ある。教科書では完全で、もとより体系付けられたものとして科学が載せられ
ている。しかしメンデルの遺伝法則は元から法則であったわけではない。えん
どう豆を教会の庭で栽培しているうちにその傾向に気づいたのである。科学は
社会的思想や個人的思考傾向に大きく左右される。科学的創造論などはその典
型であろう。科学が「人間」によって生み出されてきたことを我々が理解する
ことは、合理性から「人間らしさ」を取り戻すきっかけとなるであろう。
 
 しかし人間ははるか昔から人間らしさを出来るだけ排除してきた。例えば、
埋葬によって人間は自らの「命臭さ」を排除してきたのである。現代でも自ら
の命に目を向けない傾向が生きていることはパックされた魚や、鶏肉製造がオ
ートメーションによってなされていることからも分かるであろう。
 
 確かに医療の分野などが、科学的合理性によって進歩してきたことは確かで
ある。重病患者専門の病院の中には患者を名前ではなく番号によって識別する
所もあると聞く。「人間らしさ」を消すことによって、物として患者の治療に
あたるのである。しかし「人間らしさ」とは自分が何のためにどのように生き
るかということに他ならない。科学的合理主義の生きている社会の中で「生命
の意味」を問い直すことが求められている。博士はこう言い残した「生命は神
秘的である」と。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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