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現代科学がもたらしたもの
アジサイの広場
○○○○あう大2
 脳死が心臓死と異なる点は、ある種の中間的身体を脳死が生み出すことであ
り、脳死における現代の論議で問うものは、向こうから来る死を、「役立つ死
」へ転化することである。人間の文明は死を、生産的な死へ変えてしまった。
現代のテクノロジーは人間の道具におさまる範囲を越え、人間を「非人間化」
するようにさえなった。人間は、この状況を欺瞞なしに受け止め、適切な関係
を探っていくほかはない。
 
 先月、臓器移植手術が日本で始めて行われ、マスコミで大きく取り上げられ
た。この手術は臓器提供者の遺族のプライバシーと情報公開のバランスをどの
ようにして保つかという問題だけでなく、脳死を人の死とするか否かという論
議に再び火をつけた。なおこの問題に関しては、宗教に携わる仏教界の人も答
えをだしていない。科学技術が目覚しい進歩を遂げたことにより、大きな利益
を得た一方で、死について誰よりも専門的に考える宗教界の人たちにさえ答え
が出せない問題が生じてきた。
 
 もともと科学技術の進歩と言うものは、全ての人を幸せにするものではなか
った。ノーベルの発明し、戦争に利用されたダイナマイトはその例の一つであ
るが、他にも鉄道や電灯についても同じことが言える。日本に鉄道が導入され
、交通網が整備されたことによって、日本中を自由に移動することが出来るよ
うになったが、その一方で、宿場街は衰退してしまった。また電灯の普及によ
って、我々の生活は便利になったが、蝋燭を生産していた人々、菜種を栽培し
ていた人々は、大打撃を受けたことは、容易に想像できる。しかしこのような
ことは、科学万能主義においてさほど問題にならなかった。
 
 では、脳死についての論議、またはクローン技術や体外受精の問題も先に述
べた問題と同様の問題なのであろうか。現在のテクノロジーは、産業革命のレ
ベルとは比較にならないほど進歩してしまい、人間の価値観、または人間自身
を変えかねなくなってしまった。その意味では、今までの問題とは別に考える
べきであろう。
 
 確かに、現在脳死や、核問題について議論されていることは、ちょうど明治
時代の人々が魂を取られるといって写真を撮られることをいやがったような単
なる新しい物に対するアレルギーとも考えられるだろう。しかし今の科学技術
のレベルは、カメラとは異なる影響を社会へ及ぼす可能性があるということを
、年頭に置かなくてはならない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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