先頭ページ 前ページ 次ページ 最終ページ
科学における発想と
アジサイの広場
さやかあおべ高1
 昔、年によって大発生したりごくわずかな個体数しか現われなかったりする
ハバチの幼虫を中央アルプスの高度二千五百メートル付近に生えているハイマ
ツで捕まえて、大学の研究室で飼育した。飼育温度は普通どうりの摂氏二十五
度としたが、四日目には全滅してしまった。温度が高すぎたと思い、今度は摂
氏十六度のものも設置したが同じだった。もう一度幼虫を取りにゆくとき、ふ
と、「飼育温度は一定ではなく、高温・低温と振れなくてはいけないのではな
いか。」という発想がひらめいた。さっそく実験したところ、成功した。この
結果を学会で発表する段階で、「それでふと思い付きまして…」とは言えない
のでデータに基づいた「論理的」推理を展開する形を取ることによって「科学
的」な体面を保つことになった。しかし、科学も技術も、普通思われているの
とは異なって、ずっと人間的なものなのだということをもっと深刻に意識する
ことが大切である。
 
 確かに形だけのものよりも、実際の中身のほうが大事である。私も数学の公
式を丸暗記するがいざとなって問題をやってみるとぜんぜん分からない。やは
り、最後にその公式にたどり着くまでの過程というのが理解してないと全然わ
からないのだ。
 
 「うさぎとかめ」という話がある。結果はみんなが知っての通り、ウサギが
負けるのだ。しかし、この話で言いたいのは、「みんなにも奇跡みたいなこと
がおこるんですよ」ということではなく、「途中で怠けてはいけませんよお」
ということである。この様に結果だけで判断するのではなく、大事なのは中身
である。
 
 もちろん「終わり良ければすべて良し。」というように、中身の人間的なも
のなどは誰からも問われないかもしれない。また、「人間というものは、結果
から事のよしあしを判断する。」と言う言葉もある。しかし、私たちが結果を
出すには「かん」「ひらめき」などが必要である。そういう大切な過程を私た
ちはもっと大事にしてゆかなければならないのではないか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ホームページ