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にわにはにわにわとりがいる アジサイの広場
たこたここむ高1

 庭は原始社会では、あらゆる生活の幅をふくめた、集団社会の共通の広場だった。しかし、平安時代にもなると、権力者占有の庭が出現し、一般
庶民には閉ざされたものになってしまった。  

 徳川期に、めざましく勃興した富裕な町人階級がこれを受けつぎ、町なかの、土蔵や屋敷が立ちならぶなかに庭を取りいれた。この風習は、やが
て、時代とともに、ついに棟割長屋の庶民階級にまでしみとおっていった。  

 現代の日本の庭というのは家の裏に狭苦しくちょっこりとあり、マンションのあたりにあるような大きいような庭でもただデカいだけで「芝生に
つき立ち入り禁止」みたいなことが看板に書いてある。それは庭に限らず、海などでも、海に犬を連れていったら「犬を放してはいけません」と注 意書きがあってがっかりしたというあるおじさん(髪薄い)の話を聞いたことがある。  

 それに比べ、パリなどの庭は、広大な自然の中であらゆる層の人たちがそれぞれに楽しく利用し、各種のスポーツはもちろん、学生はノートをひ
ろげ、静かな木かげでは、若い男女が恋をささやいている。子供たちは縄とびや、ボール投げをして遊び、夫人たちはそのわきで編物に余念がない 。老人は日向ぼっこをしながらベンチで新聞を読んでいて、午後のひとときには、音楽堂からのメロディーが庭いっぱいに流れているという。  

 「それだったら日本にも似たような物で公園があるじゃないか」というかもしれないが、これは日本の公園とも違う。「バーベキューをやろう!
!」、「火をたいてはいけません。」「野球だ~!!サッカーだ!!」、「ボール遊びはやめましょう。」などの細かい注意書きがたくさんある。 そもそもバーベキューだ野球、サッカーだなどといえるような広い公園は滅多に無い。木やら花やらが整備され、「木に登ってはいけません。」と いう注意書き、どちらかというと日本の庭、公園は「見られる為の場所」になっている。  

 人々が共通して自由になんでもできる空間というものは必要なものなのだ。
 

 先生が時間くれないから最後テキトーになっちゃったじゃんかよぉ
 

 
                                           
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