先頭ページ 前ページ 次ページ 最終ページ
高価な物 アジサイの広場
GTOえま高2

 貴金属としては全く無価値であっても、特定の人間が特定の人間とのかかわりのなかでかけがえのないものとして主観的に絶対の価値をあたえる
もの・・・そういう種類の首飾りもある。この種類の首飾りは決して財宝でもなく、富の象徴でもない。 まぁ、お値段の高い商品が、価値がある という固定概念っつうものが崩れるということですかね・・・  

 とある車会社にフェラーリという会社がある。そこで作る車は、会社の社長やプロのスポーツ選手、金持ちの家のボンボンみたいのが乗るような
車である。簡単に言うと高価で価値のある車なのである。人は、なぜかわからないが高価の物に対して価値観はすごく高い。しかし、最近忘れられ てしまっている、思い出の品の価値というのがある。海外旅行で買った安い時計だって、日本で買った高価な時計より何倍も価値があるのだ。それ は、思い出の品という価値がプラスされて自分だけの凄い価値となるのだ。  

 今、思い出の品の価値というのはほとんど忘れられてしまっている原因として、金がすべてだと考える人が多いからだ。
 

 確かに、資本主義の我が日本国ではしょうがないことかもしれない。
 

 しかし、こういう世の中だからこそ、忘れかけてしまっている思い出の品の価値というのが大事なのではないだろうか・・・
 

 他人から見てまったく価値の無い、そしてなんの意味も無いようなものがとある人にとって、絶対の価値と意味をもつことも少なくない、私たち
は、なんらかの物神崇拝の対象を持っているものなのだ。  

 したがって、物神崇拝の対象を持って無い人は不幸だ。
 

 
                                           
ホームページ