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木と鉄 ウグイスの広場
ひろりんあしゆ中1 産業革命以来、人々は機械を生活を豊かにする打ち出の小槌のようなものだと信じてきた。また、数量的に証明できるものが正しいとして、その考 え方が広く伝わっていった。しかし、最近になってそれだけが全てではないと言うことがわかってきた。インテリアを例に言ってみよう。これまで の建築は芸術性と工学的な技術に重点が置かれていたが、生物学的なものの見方や考え方がしっかり根をおろしていないと人間のためにならない。 つまり、いくらガラスとコンクリートで囲った空間を作って時代の先端を行こうとしても、生物的な泥臭さがないと人々はそこに住みたがらないの だ。新宿やブラジルなどもそうだ。 最近デパートの中にこぎれいな家具やがある。家具屋というと木製のたんすなどが置いてありそうな感じがす るが、そこは赤や青の鉄製のいすやテーブルなどがたくさんある。店の中も新しい雰囲気だった。しかし、そういう鉄製の家具は人間にいいものな んだろうか。私が見たからに、鉄製のいすは安心して休める感じはしないと思った。主な理由として色がそうだ。光る銀色というのは目にきつい。 赤や青もそうだ。青は本当は安心する色だが、このときの青ははっきりとしたきつい青だった。ほとんどの場合家にある家具は木製なのは、木のほ うが安心して、いわゆる癒されるからではないだろうか。これは宇宙飛行士が長い間ロケットの中に閉じ込められていると、植物などの生き物がな くてイライラしてしまうのと似ていると思う。やっぱり人と自然との関係は長いだけに伊達ではなかったのだ。天空の城ラピュタの「人は土や木か ら離れて暮らしてはいけないのよ!!」というセリフそのまんまである。  

 木は、そのままの姿でも家具になっていても、私たちを安心させてくれる存在だ。鉄という逆の存在がいなかったら気づかなかっただろう。最近
になってやっと「生物的な泥臭さ」の大事さに気づいてきたのだ。未来が設定の映画では家具に木は使われている様子がない。木の大事さに気づい たなら、その未来も少し変わっていくだろう。                                                        
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