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考えることの違い!? アジサイの広場
スヌーピーいうわ小6 ソフィーは森を散歩している途中、行く手に小さな宇宙船を見つける。宇宙船の上には1人の小さな火星人がよじ登って、ソフィーをじっと見おろ している。そんな時、私ならこう思っただろう。えっ!?それだけ。絶対に頭の中が真っ白になり、たとえ冷静になることができたとしても逃げ出 してしまうだろう。けれども、自分というものは、火星人などの宇宙人から見れば1種の宇宙人なのだろう。そう考えていれば宇宙人だって、見て 逃げ出してしまうほどの生物でもないだろう。私は、5年生の終わりのころに自分も宇宙人なんだということに気づいた。そのときは、とてもビッ クリした。他にも同じようなことに気づいたことがある。それは、「日本」という国の生活について。具体的にいうと、1つ目は日本の食生活のこ とだ。私は、エスカルゴなどのように、日本ではあまり食べることのないヘビやカタツムリを調理したものはあまり好きではない。けれども、外国 の人たちは日本の料理の中でもあまり好きではないものがあることは不思議なことではない。2つ目は、日本人は、家の中では靴をはかないが、ア メリカ合衆国の人たちは家の中でも靴をはいていることだ。私からすれば、靴で家の中を歩き回ることが変に思えるように、アメリカ合衆国の人た ちも家の中では靴をはかないということが変に思えるかもしれない。3つ目は日本語のこと。日本語を喋り生活してきた私は、英語や韓国語や中国 語で喋るのは難しいし、「~です」という意味の言葉がどうして文の最後にきていないのかな?などといろいろな不思議がうかびあがってきた。け れども、外国の人からすれば日本語の喋り方や文の書き方が変、などと思えるのではないか。  

 そういうことをいろいろと母に聞くと、
 

 「まー、そうなってんねん。」
 

 と、何の不思議に思う気持ちもなさそうに言う。似たようなことが普段の生活にもある。それは、家の中にクモがいると、私や姉はすぐに近くに
いる父か母を呼び、つかまえてもらう。その時、私はクモを見ているだけでもブルブルッとなる時がある。けれども母はなに  

 「なに怖がってんの」
 

 などと、言いながらまるで、下に落ちているものを拾うように摑まえ、庭に逃がしてやる。ゴキブリが出てきたときもそうだ。私や姉は、
ビックリして叫びながら逃げている途中に階段の1番下の段で弁慶の泣き所をよく打つ。けれど、父や母はすぐにゴキブリ退治のようなスプレーを 持ってきたり、新聞などを持ってきたりする。だから、母や父はゴキブリやクモになれているようだ。多分、クモやゴキブリという生き物を見るの は当たり前と思っているのだろう。母や父は「これ、なんでかなぁ?」というような疑問に思うことを口にすることは少ない。けれども、父や母も 子供のころは「これ、なんでかなぁ?」と思うことも多かっただろう。  

 のどもと過ぎれば暑さ忘れるということわざのように、大体の大人は小さいころ色々と考えた心を忘れてしまったのかもしれない。
 

 
                                           
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