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物は使って愛着を持ってこそ物である アジサイの広場
太公望うの高2

 今の世の中で物神崇拝の人は少なからずいるだろう。アニメやゲームにどっぷりとはまっているアンダーグランドな人なら尚更のことだろう。物
神崇拝においては本来ある人が自分にとって宝物と考えている物は、値段がつけられないはずである。しかし、今日の社会ではやたらと物を金で計 ろうとするようになった。世界で共通する価値観の単位が金であるから致し方ないような気もするが昔はこうでなかったはずである。つまり今の人 間、特に先進国の人間の中で物神崇拝が失われているのである。どうして今の人間から物神崇拝が失われているのであろうか。  

 第一に考えられることの原因として物が豊かになったということである。今の時代の日本は不況とは言え発展途上国に比べればとてつもなく豊か
で幸せな生活を送っている。そして常に新しいもの、新しいものへと世の中が動いている。昔は、物が不足していて物量的に豊かではなかった。だ から人々は手に持っているもの数少ない物を大切にし長い間使い続けるようにしてきた。そのため長年使い続けた物や家にあった物に思い出という ものができ愛着が湧く。そしていつまでも物を大切にしていくのである。だが今日、古いものから新しいものへの転換が非常に早い。また現代社会 の時代の速さによって人々が時代へついていくために古い物に固執するということが無くなったということである。先進国においてお金持ちという のは一見幸せのように思えるが、なにか愛着があり自分にとって値段がつけられない物がないという人は不幸と言えるのではないか。  

 第二に物神崇拝によって人々が心の安らぎを得るということが今の人々に認知されていないのではないか。確かに今の世の中は、なんでも唯物論
で説明がつくというような時代でしっかりと理論を持って説明される物でないと納得しないし認めようともしない。ずいぶん理屈っぽくなおかつ心 がさみしいことである。これが物神崇拝を馬鹿にする人々を生み出す。とはいえ物神崇拝というだいそれた意識が無くても少なからず人々にとって 自分にとって大切なものはあるのではないか。ただそれが人生において永久な物でなく短期的な物であるということが重要である。それが今と昔の 決定的な違いである。私も「自分にとって最も大切なものはなにか?」と聞かれてすぐに答えられるかというと無理なことだ。私も大切なものが生 きている中で変わっている。まだ人生17年で本当に大切なものができる物ではないが、だからといって不幸かというとそうではない。  

 確かに日々時代の中で人や物が進化していく時代ですぐに古いといわれてしまう物に長い間物神信仰するのは大変な話であり、変にこだわること
によって心に安らぎを得るどころか周りの環境にデメリット及ぼすこともある。私の回りにいる友達はそんな人間が多い。アニメを見てグッズを集 めそれに満足するが逆にそれによって普通の生活が送れなくなってしまう。無論、これは例外的な話である。しかし、今の人々には物神崇拝という ものが少ないどころか物を大切にするということがなくなってきていることも問題である。我々先進国の人間は、ものの豊かさを手に入れた以上心 の豊かさを手に入れることも重要である。人は物だけで豊かになったくらいでいい気になるのはおかしい。地球上で一番複雑で、でもとても素晴ら しい心を持っている生物である以上心も進化させていくのも人間の課題である。  

 
                                                 
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