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部屋 アジサイの広場
日本太郎あねひ中1 生物学と建築というと、いまのところいかにも縁遠い存在の様に思われる。だが、果たしてそうであろうか。これまでの建築は芸術性と工学的な技 術に重点がおかれていた。住まいの環境が美しくあることは、確かに望ましいことに違いないが、芸術第一主義では庶民にはとても住めない。われ われは、これまで鉄とガラスとコンクリートで囲まれた空間をつくれば、それが時代の最先端を行く文明の象徴だというイメージを持っていた。だ が写真映りが立派なだけではどうも落ち着かない。冷たい無機質の材料で囲まれた舞台装置のようなインテリアよりも、木や木綿のような素朴な材 料で囲まれた泥臭さの中に、何か人間の本質といったものがひそんでいることに気がついたのである。 この筆者の言いたいことは、人間は、整然 としているよりも雑然としていた方が落ち着く。ということだと思う。僕はこの意見に賛成だ。  

 第一の理由に、僕自身が雑然としていた方が落ち着くからだ。例えば僕の家でこんなことがあった。ある日僕が学校からかえってくると、お母さ
んが部屋をかたづけろといった。僕は、いやいやかたずけたが、何がどこへ行ってしまったのか全然分からないと言うことになった。自分の部屋で も久しぶりにかたづけたりするとなぜか落ち着かなかったりする事もある。  

 第二の理由は、もし僕が整然とした家に住めといわれて住んだら、一週間後にはぐちゃぐちゃになると思うからだ。僕も部屋が片づいたらその一
日後にはぐちゃぐちゃだと思う。  

 よく親に部屋を片づけろとかいわれるがそんなに片たづけても落ち着かなくなるだけだと思う。確かに部屋はちゃんと片づけないといけないが、
自分が生活するのだから自己流でもべつにいいと思った。家は見た目ではなくて、使い勝手だと思う。整然としすぎて落ち着かないよりは、雑然と していて落ち着いた方がいいと思う。                                                    
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