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宗教 アジサイの広場
太公望うの高2

 宗教は、日本においては一人一人に浸透しているものではないが世界ではキリスト教、仏教、イスラム教が三大宗教として広く浸透している。今
回のアメリカでのテロは戦争へと発展しそして宗教戦争という色合いが濃くなっていた。キリスト教対イスラム教である。宗教戦争において厄介な 点は、戦争が泥沼化に陥りやすいことである。宗教戦争は一部の宗教戦争になることを望む人間によって起こされるのだが、それが対話では解決し にくいのが一般的な戦争と決定的に違う点である。何故宗教は、人のメンタル面において重要な役割を果たすものであるのに戦争の材料として使わ れてしまうのであろうか。  

 今回のテロは、アメリカの報復攻撃で終る見込みであったが各国の政治的思惑がありアフガニスタンのタリバーン政権を倒す作戦に発展した。当
初アメリカは、宗教戦争など全く望んでいなかったがテロ組織側が「イスラムに対する挑戦」として宗教戦争として徹底抗戦を行なった。宗教戦争 になる条件はいくつかある。第一に戦争の当事者が互いに異なる宗教を信仰している。第二に当事者のどちらかが宗教を戦争に関連付ける発言をす る、などが挙げられる。今回のテロがそれに当てはまりアフガニスタン側がイスラム教、欧米諸国がキリスト教と綺麗に分かれてしまうのである。 元々宗教は、他の宗教を排他する風潮があり様々な場所において対立の火種になりやすいのである。つまりそれは、戦争によって利益を生む人にと って宗教を戦争に持ち込んでしまえば大量に平気が使われ利益を得ることができる。これは戦争を商売とする死の商人がいるかぎり宗教と戦争の関 係が離れるということはないといってもいい。  

 この世に宗教がなければどれほどの戦争が起こらないですんだだろうかと考えることがある。しかし、本来宗教は人々の心を癒し人々の団結を強
める役割などプラス面において様々な効果がある。今の世界は、アメリカの力が強い。アメリカという国は、今回のテロで「正義」という言葉を連 呼し戦う相手に「悪」というレッテルを張り付けた。アメリカは、自分の考えを押し付けがちでまるでアメリカの正義は世界の正義とでも言わんばか りの行動が多かった。ましてや一国の大統領が戦争に行く兵士に対し「神の御加護を」などと行ってしまえばキリスト教は正義、イスラム教は悪と 自動的に決定されたと言ってもいい。アメリカに虐げられている人や国は苦しみアメリカに対抗するために人々は結束し宗教を信仰し更なる結束を 誓う。そうすればアメリカ=キリスト教というイメージは世界的にあり宗教戦争に発展する種子は中東各地にばら蒔かれている。過去に起きた戦争 でアメリカが関らなかった戦争はない。  

 確かにアメリカの輝かしい発展によって人類は進化し世界で、満足に生きられる人も増えた。宗教が多民族国家であるアメリカの人々の結束を促
しよい結果を導いてきたことも否定できない事実である。しかし、現在リーダーシップをとっているアメリカ国内でキリスト教と資本主義が矛盾し ていることも事実である。今地球に住む人間の課題は、自分とは異なることをいかに理解していくかである。今回の宗教戦争寸前までに発展させた アメリカに、「制御できない力はただの暴力、それは正義でも勇気でもなくただの破壊だ」という某アニメでの発言がぴたりと当てはまるものであ る。宗教は、本来人々を救うために作られたものであるから宗教によって戦争が起こることは断固反対である。これから人々は他を理解しようとす  

 
                                                 
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