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ある日、五つになる アジサイの広場
友葵あしも小5 ある日、五つになる     2001・12・16  

 手紙というものは、そうやさしいものではありません。もし、印刷された年賀状の余白に、万年筆でほんの一行、書き添えたとしましょう。この
ふぬけなはがきが、たちまちにして生き生きと血が通いだすのがわかりましょう。つまりは、この一行で、あて名が書かれたからのことです。  

 毎年、届く年賀状を一枚、一枚読むことは、一年に一回の楽しみだ。何故なら、私だけのために、書いてくれるからだ。しかし、毎年、毎年、印刷
をする人が増えてきている。印刷では、私だけのことではなく、みんなに通じることしか、書かれていない。例えば、『昨年は大変お世話になりま した。今年も宜しくお願いいたします。』だ。  

 読んでいると、
 

 「手書きの方が、気持ちがこもっていて、印刷よりもいいよなぁ。友葵は絶対、手書きで書こう。」
 

 と、思う。
 

 しかし、今年も年賀状をいざ書こうとすると、
 

 「あーあ。面倒くさい。」
 

 と思った。お母さんは、パソコンで打って、プリンターで『ウィーンガシャン。』とかやって、とっくに郵便局で送れる状態だ。私は、まるで、
受験生のように、必死で年賀状を十枚ぐらい書いたら、手と首がものすごく疲れたので、お母さんに、  

 「友葵のも印刷してよ~。」
 

 と言うと、 「子供は手書きの方がかわいいよ。」 と言われた。その時は、
 

 「ハァ~…。」 と思ったけど、全部書いてしまった今は、 「手書きの方が気持ちが伝わるし、よかった。」
 

 と思っている。 もし印刷をしたとしてもやっぱり、送る人にしか書けないような、文を書きたい。そのちょったした文が、あるのとないのとで
は、全然ちがうと思う。あるのは、書いた人の個性がみるみる出るだろう。しかし、書かれていないのは、たんなるはがきにすぎないと思う。 印 刷の方が字もはっきりしていて、見た目はいいけれど、やはり、もらった方は手書きの方が嬉しいと思う。  

 
                               
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