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名前と誇り アジサイの広場
TERUふり中3 私は五歳から十歳までの間、アメリカに住んでいた。そこではアメリカの普通の学校にも通っていた。そこで、私の名前はローマ字で「Hirom i Tanaka」というふうに自分の名前を書いていて、友達や先生にも「Hiromi」と呼ばれていた。  

 しかし、日本では「ひろみ」というふうに発音するが、アメリカの人たちは「ひろみ」を「ハイローミー」というような感じで発音していた。そ
の頃の自分にとっては何も違和感は感じ取られなかったが、今考えると妙に笑える。  

 私意外にも日本人がいたが、その男のこの名前は「ゆうすけ」でローマ字では「Yusuke」。アメリカ人の発音は「ユスーキー」という発音
で彼を呼んでいた。私はその頃「ゆうすけ」という名前とあまり馴染み深くなかったので、日本の発音でも「ユスーキー」と読むのだと、心から思 っていた。今、日本の学校で同じクラスに「ゆうすけ」という人がいるが、その人の名前を聞いて、あの男の子は本当は「ゆうすけ」だったのかと 、初めてわかったのだ。(笑)  

 また、私の場合、「田中野文」という名前で、最初、誰もが男の名前だと思う。しかも、誰も「ひろみ」となんて読めないので「のぶん」やら「
のぶ」やら「のぶふみ」とがんばって男の名前として無理やり読もうとする。(笑)  

 6年生の修学旅行であるお寺に行った。そのお寺で御坊さんがみんなの名前を見てそれぞれどのような意味が込められているのかを話してくれた
。私の名前を言って字を教えたとき、御坊さんは一瞬止まった。しかし、とても癒されるような笑顔で「素敵な字だね」と言ってくれた。そして「 これは行動力をあらわしてるよ」と話してくれた。私はそのあと、あまりこの名前を気に入ってないことを話した。なぜなら誰もが読んでくれない し、良さをわかってくれないからだ。そんな私に御坊さんは  

 「自信を持ちなさい。周りは少ないかもしれないけど、これから良さをわかってくれる人はたくさんでてくるでしょう。」
 

 と、とてもありがたい話をしてもらった。このとき、私は本当に感動していた。こんなことを母親以外に言われたのは生まれて初めてだったから
だ。それからは自分の名前に自信が持てるようにもなれたし、だんだん自分でもこの名前の良さがわかってきた。  

 かなり長文から話しが反れてしまったが(笑)、名前というのはただ人を呼ぶための便利なものなだけではない。自分たちの親が懸命に考えてく
れた素晴らしいものだ。それぞれの親の「こんな子になってほしい」という願いが込められており、またその親につけられた子は、それを将来誇り に思えるようなものになっていくのだ。そんな名前を人間は大切にしていかなくてはいけないと思う。私もこのような珍しい名前をつけてくれた親 に感謝し、もっとこの名前にこめられている意味をわかって行きたいなと思っている。  

 
                                         
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