先頭ページ 前ページ 次ページ 最終ページ
完璧主義? アジサイの広場
由希子あとえ中2

 スポーツで「腰を入れる」などといわれても、実際に経験していないと、体を動かすことはできません。また、「失敗するかもしれない」と思う
と、以前に失敗したときの脳の働きが進行してほんとうに失敗してしまいます。私たちはたえず自己暗示によって行動しているのです。  

 経験よりも言葉の方が大切だという意見がある。
 

 部活にはいってもう1年と半年ぐらいになる。中学生になって部活に入るまでは、卓球なんてやったことなかった。だから、入部したてのころは
どうもラケットのコントロールがきかなくてぜんぜん打てなかった。練習したくてしょうがなかったのに、女子卓球部の使用できる面積はとても少 なく、卓球台の数が少なかった。そのため、1年生の私たちまで卓球台が回ってくることは少なく、思うように練習できなかった。そんなときに、 春の新人戦というのがあった。まだまだ未熟なので、先生に「1回戦勝てるか勝てないか」と言われた。せっかくの初試合が黒星というのは少しむ なしい感じがするのでせめて気合いだけは十分で試合に臨んだ。「よーし!勝ってやるー!!」と意気込んだ結果なんと初試合初勝利を勝ち取った 。その時はとてもうれしかった。やっぱり「勝負は気合いと根性や」だと思った。  

 しかし、言葉よりも経験の方が大切という意見もある。
 

 政治家の選挙に、中卒の人が急に立候補しようとしても当選する確率は少ないと思う。「やる気だけは十分です!!」と言われても、なんだか政
治を任せられないなと思う。やっぱり政治を任せるからには、きちんと学問を身につけた、人生経験の豊富な人に任せたいと思う。マニュアルでは 補えないような、経験してないと分からないようなことは、いくら気合いがあったってちょっとできないと思う。だから、言葉よりも経験の方が大 切なのである。  

 確かに、言葉も経験も大切だと思う。しかし、私が一番大切だと思うのは、言葉も経験も両方持ち合わせることだと思う。「病は気から」気の持
ちようが大切だ!ということわざがあるけど、気合いだけでは何でもできるとは限らないと思う。反対に、経験、能力があるから何でもできるとも 言い難いと思う。完璧がいいならば、完璧にしたいならば、言葉も経験も持つべきだと思う。                                                
ホームページ