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リピート アジサイの広場
由希子あとえ中2

 ドストエフスキー、ファーブルなどと二十年以上も前に読んだ物を、もう一度読み直して、なんとなく良い気分である。古典とは人間の本質を、
その時代の具体的な素材を用いて抽象の中に表現し得ている物である。古典に現代の生活では日常的ではない素材が用いてあると、抽象の骨組みが かえってはっきりと見えてくることがある。そして、それが、現在の日常性野中で混乱している思考をしゃっきりとさせてくれることがあるものだ  

 流行の物より、古典的な物の方がよいという意見がある。
 

 今の流行ファッションといえば、圧底の靴や、ルーズソックスや、ミニスカート、超色気のある服、ピアス、金髪などなど、おやじにとってチャ
ラチャラした服である。そういうファッションは、1年ぐらいでまた違う流行に変わる。それにくらべて、和服...いわゆる着物は、いつ着ても おかしくないと思う。流行なんてものがないのだ。私は、そっちのほうが面倒じゃなくて良いと思う。それに、きちんとした場所ではチャラチャラ した服でいったら場違いになるけど、着物だったら大丈夫という利点もあると思う。  

 しかし、流行の物の方が良いという意見もある。
 

 世界は、つねに今に合った政治を行わなければいけないと私は思う。昔からの伝統のある政治をするのもよいだろう。だけど、事件や景気の問題
や戦争の問題は今起きているのだ。今起きている事件について、昔からの政治を行うのは少し変だと思う。今のことは今対処すべきだと思う。学校 でも、「昔からこうだったから、それは認めない」なんて古くさいことをいっている先生がいる。「今は今なんだから、少しは違うこともしたらい いのに」と思う。流行には流行で対処すべきだと思う。  

 確かに、古典的な物も、流行な物も大切だと思う。しかし、私が一番大切だと思うのは、1度きりにしてしまうのではなく、繰り返し行う事だと
思う。流行のものでも、古典的な物でも、1回きりでは意味がないと思う。例えば、小学校の時のドリル。小学生の時は、なんでわざわざノートに 写して何回も同じ問題を解かされなきゃいけないの?と思っていたけど、今深く考えてみると、繰り返し行うことで、間違えた問題や、公式などを 完璧にマスターする事ができたんだなあと思う。ピアノでも、練習1回で本番なんていったら全然弾けないだろうけど、何十回も何百回も練習する ことによって、すばらしいメロディーが出せるのだと思う。繰り返し行うことって面倒で嫌だけど、それによって何らかの成果が出るので、私は、 スポーツでも、勉強でも、繰り返し行うことを忘れないようにしようと思う。                                                
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