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良い喧嘩or悪い喧嘩 オナガの広場
ホームズなか中1

 人間、誰でも一度は喧嘩をしたことがあると思う。喧嘩というものは、生物が生きていく上で必ず必要なものである。チンパンジー・犬・カブト
ムシ(?)などのなわばり争い。そして、人類が土地を広げようとして起こった、醜い喧嘩・・・戦争。しかし、僕はそんな喧嘩を悪くは思わない。む しろ、良いものだと思っている。もちろん、戦争などの様に大きなものではなく、一対一でやるような喧嘩のことだが。  

 第一の理由は、喧嘩をすることにより、相手の事がよくわかったということもありうるからだ。例えば、それまで仲の良かった田中太郎と山田花
子が、給食のふりかけの取り合いで、喧嘩になったとしよう。(もっといい喧嘩の理由が見つからなかった・・・)二人の喧嘩っぷりはすさまじく、二 人は一ヶ月間口をきくことすらしなかった。ところが、ふとしたことが原因で、太郎は花子に謝ることを決意する。今の自分の済まないという気持 ちを花子へとまっすぐにぶつけた太郎。それを、素直に受け止めた花子。そして、二人はこう思うのである。  

 太郎;「嗚呼、俺の気持ちを素直に受け止めてくれる花子。やっぱりいいやつだったのかぁ。」
 

 花子:「嗚呼、私に気持ちをまっすぐに伝えてくれる太郎。やっぱりいい人っだったのね。」
 

 つまり二人は、こうしてお互いの良さに改めて気付いたわけである。
 

 第二の理由として、喧嘩をしないということは、少しさみしいと思う。喧嘩をしているということは、悪いなり良いなり、それだけ人との関わり
があるということにつながるし、喧嘩するほど仲が良いということわざもある。前に述べたように、一度も喧嘩をしたことが無い人間なんて、本当 に少しだと思う。それだけ、現代社会では券かは大きな役割を持っているのだと思う。喧嘩には、「良い喧嘩」と「悪い喧嘩」とがあると思う。自 分にプラスになるのが「良い喧嘩」である。逆に「悪い喧嘩」というのは、誰も得をしない、人を傷つけ合う喧嘩のことだ。どうせ喧嘩をするのな ら、傷付け合うだけの喧嘩より、相手のことが分かる「良い喧嘩」をしたい。  

 「一人の敵も作らないものは、一人の友も持たない」という言葉があるが、まったくその通りであろう。喧嘩をしない・・・敵を作らないものは
、人間関係拒んでいる。つまり、友人もできない。喧嘩とは、人間関係の現われであろう。友達も沢山いるはずだ。喧嘩するほど仲が良い。今日喧 嘩した敵は、明日の友である。「良い喧嘩」をするも「悪い喧嘩」をするも日本人の勝手ではあるが、できることなら、いや、絶対に悪い喧嘩はし てほしくない。誰も得をせず、喧嘩の後に残るものは、生々しい傷痕だけなのだから。  

 
                                           
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