先頭ページ 前ページ 次ページ 最終ページ
子供を放っておく状況と、過保護が与える影響
、ならびに子供を育てる場合における報告書 アジサイの広場
横浜太郎あわか高1

 子供を放っておいて育てるか、保護して育てるかについては意見が分かれるところだと思う。しかし、現代の日本社会はどうも、保護して育てる
方向に行き過ぎて過保護になっていると思う。子供にとっては、放っておかれる方が良いのか保護される方が良いのか、それを考えていきたい。  

 この前の金八先生の、
 

 「健次郎…」
 

 「パシーン!!(平手打ちの音)」
 

 の場面の後で、保護者の過保護ぶりが見事に演出されていたような気がする。実際、いろいろな人に話を聞いてみると、昔の学校は殴る蹴るが当
たり前だったという。現在は、教師が一発でも殴ろうものなら、保護者がやいのやいの言ってくるので、“ほとんど”このような場面には出くわさ ないようだ。しかし、ここで問題なのは、過保護が行き過ぎて暴力と“愛”の区別もつかない人が増えているのではないか、というところである。 例えば、教師が一方的に殴ったり蹴ったりすればそれは暴力である。しかし、現実に言っても分からない人というのがいるのも事実である。そうい う人に、教師が「体で分からせる」という「最後の手段」を使わざるを得ない場合がある。しかし、そういうときに、「保護者が…」、「PTAが…」 という抑制がかかってしまうので、結局言っても分からない人は分からないままで終わってしまうことが少なくないと思う。また、そのような人は 、自分の知る限り、「過保護化社会」の副産物である場合が多い。  

 もちろん、殴って、あるいはねじ伏せて非を諭せば分かってくれるというわけではない。しかし、元高校の教師で、現在は少林寺拳法代表の鈴木


 義孝さんの実話で、言っても分からない番長を、ねじ伏せて非を諭したらクラスの雰囲気が一転、その番長が一番の協力者になったという。では
、力で全てが解決するかといえば、全く違うと思う。例えば、力で脅されて解決したのでは、根本的なものが全く解決されていない。大切なのは、 行き過ぎているときに、必要なことを教えてあげる、こういう姿勢ではないだろうか。  

 イッソプが「放っておかれた小猿の方が元気に育つ」といっているが、確かに放っておかれるか、過保護かというのであれば放っておいた方が良
いと思う。しかし、極端であるが、全く構わなければ子供は愛情を素直に受け止められない子供になってしまう可能性が高いという実験結果を何か で読んだことがある。まあ、愛情で構っていないというのと、面倒だから構っていないのは全く違うといわれそうではあるが。結局のところ、大切 なのは、過保護にせず、必要なときに諭すという姿勢ではないだろうか。これがあれば、今の社会や何やらが、格別に良くなるということは、頭の 悪い自分でもわかることである。  

 
                                           
ホームページ