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清書:学ぶことの意義について
アジサイの広場
広行いてわ


 現代の日本社会は専門性を持たない人々にとって厳しい状況になってきている。そのような状況を反映してだろうか、中高年層だけに限らずどの
世代においても学びなおす、あるいは新しい分野を学ぶという人々が急増している。このような社会の中で特技、専門を身につけるということは必
須だろうが、はたしてすべての学ぶ人々がただ生活や社会状況のために学んでいるのだろうか。私自身これから学ぼうとする人々の中の一人だが、
私にとっての「学ぶこと」について意見を述べたい。
 


 私は今フランス文学に大変関心を抱いている。私は洋書の輸入販売をしているが、主に取り扱う書籍はフランスの歴史である。しかし、私は仕事
をやっていく上で、多くのフランス文学研究者がフランス史の図書を買うことに気がついた。私はその都度疑問を抱いた。しかし、私は私なりに仮
説を立ててみた。「文学を知らなければ歴史を知れないし、そのまた逆もいえると。」果たしてそれが正解か否かは私にはわからないが、このよう
に自分なりに物事について考え、また方向を決めたらそれに向かって進む、具体的にいえば学ぶということである。私の場合仕事上での情報だけで
は好奇心を満たすことができず、また消費者のニーズに答えることができないと考えた。一つの仕事をやっていく上で自分の仕事のことを知らない
ということは無責任この上ないし、また、仕事上での義務をも果たしていない。つまり責任や好奇心を持つことにより学ぼうとする姿勢が生まれ、
学ぶことにより自分自身を高め、多角的に物事を見ることができると考える。
 


 確かに学ぶことにより教養や知識を得て、それをそれぞれの専門で発揮することはできるだろう。しかし、人は好奇心や向上心を持っている。す
なわち社会状況が厳しいというだけで学ぶわけではないのである。学ぶということは人にとって生涯やらなければならないものだし、またそうする
ことによって人は解り合い社会を発展させてきたのである。私はフランス文学を通じ自身を更に高め、社会人としての自分を確固たる物とし、はじ
めは消費者それから社会へと貢献していきたい。
 


 
 


 自分でちょっと何書いてるか解らなくなってきてしまいました。酷評ください。お願いします。花澤
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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