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指定と自由
アジサイの広場
クラシックしふ中2
日本人は、指定をされないと動けない場合が多い。
 


 子供は、親にあれこれいちいち指定されながら大きくなる。だから、自由という言葉に戸惑ってしまう。
 


 困ったことに、これは大学生や社会人にすらあてはまる。
 


 指定された課題や仕事ならば、そこそここなすことができるのだが、自由課題や、企画をまかされると、何をしたら良いのか分からなくなってし
 


 指定されながら大きくなったため、それに慣れてしまい、不慣れな自由という言葉に戸惑ってしまうのだ。
 


 確かに、指定されるというのは大切なことである。
 


 人は、指定されたもののなかから多くのものを学び取り、成長していく。
 


 そして、その指定がなにかの基礎になることもある。
 


 足し算を習わないで掛け算ができるだろうか?
 


 しかし、自由に考えるというのも大切なことである。
 


 わからない何かに到達するため、あらゆる考えを駆使して、苦労の末、それに到達する。 その考え方が、世界を成長させて来たのだ。 指定さ
れたものにたどり着くだけなら、赤ん坊でも出来るだろう。
 


 結局は、礎を気づき、さらに新たなことを発見する。 これが一番大事なことではないだろうか? 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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