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にっぽんのコミュニケーション
イチゴの広場
ひろりんあしゆ中1


 日本人は「見る」ことに重要な意味を与える。例えたら花見、月見、雪見などだ。その「見る」という行為には人と人のコミュニケーションの方
法でもある。恋人同士が告白するとき満月を見ながら
 


 「いいお月さんですねぇ」
 


 というだけで意思は通じる。外人だったら、「はいそうですね(なにいってんだコイツ」と答えそうだが、日本人だったら黙って何かを眺めるこ
とでも会話は進行する。つまり、日本人は言葉でなく、物理的対象物をともに見ることで、社交が成立するのだ。
 


 小6で日光修学旅行に行ったとき、華厳の滝というのを見た。本物の滝を見たことがなかったので興味はあったけど、調べた時に「なんかスゴイ
滝らしい」とわかっただけで、そのぐらいしか知らなかった。しかしいざ本物を見ると・・・なんともいえなかった。ドドドォ・・といいながら大
量の水が落ちてくる。それだけなのだが、すごい。
 


 「おおおー、スゲー・・・」
 


 友達もそんな感じで、言いたいことはなんとなくわかった。これは告白する恋人に似ていると思う。見るだけでなんとなく通じる。共有している
、というのだろうか。日本の独特の文化だろう。
 


 こういう言いたいことははっきりとは言っていないが、なんとなく通じる、というのは私はいいと思う。はっきりものを言わなくても心が通じて
いて、日本独特だ。外国にはない文化である。月をみて
 


 「いいお月さんだね。」
 


 なんてすごく「きれい」だと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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