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無意味、それとも必要?
イチゴの広場
おこじょあめお小6


 噴水は、飲めない水である。浴びることの出来ない水である。しかも、その水はただそこを循環しているだけであるから、何ものをも潤さない。
言ってみれば、何の役にも立たないものなのだ。そして、それがいい。都市住民は、すべてが役に立つという環境に馴らされているから、目の前に
突如として何の役にも立たないものが出現すると、それだけで文化的衝撃をうけ、深く困惑する。つまり、この困惑が新たな文化を創り出すのであ
り、噴水はそのためのものであろう。だが、噴水に電気仕掛けの細工をしたりするのもよくない。噴水は、ただ水を噴き上げていればいいのである
 


 よく手品には、無駄だと思われるとこもある。でも、それが結果、つまり物が消えたり、物が変ったりするために、とても大切な一部になる。例
えば、こんなトランプの手品はどうだろう。手品師は、観客にトランプを切らせる。その後に観客にトランプを一枚取らせる。そこで『ちょっと待
ってください。あなたがカードを引く前に、あなたが何を引くか予言しましょう』とでもいって、どこかから「ハト」を出す。そこで
 


 「うーん。ハト、ハト、ハート。そうだな、ハートのAあたりでしょう」
 


 とギャグを一発とばす。そして観客にカードを引かせる。無論、引いたカードはハートのAです。
 


 しかしなぜ引いたカードは必ずAなのでしょう。なぜならハトを出す時、観客の視線をハトに集中させ、その間にごくふつうのカードの束を、全
てハートのAである、特殊な束にすりかえたのです。しかし、こうなると手品に噴水のような役目をする、無意味な物が無くなってしまいます。だ
から、現実的なレベルなら、無意味な事をしても良いと思う。だからこそあそこですりかえたのかな。それとも無意味な事をやっているのかなと観
客を楽しませることができると思う。
 


 つまり、無意味な事を入れた手品のように、無意味な事は大切だと思った。
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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