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自己判断と他人依存
アジサイの広場
たば星人あころ中2
自分で判断し決断し行動する。簡単なように見えて、じつはとても難しい。時として、判断に困り、大勢の意見に依存してしまう事も少なくない。
その判断が、仮に間違っていたとしても、自分自身に責任があるわけではない。まして、その責任を追求される事はない。しかし、我々が社会生活
を送っていく以上、自分で考え自分自身で判断する事は、当然の事であり時には厳しい判断を迫られる事も少なくない。それなくして、一般的な社
会生活を送ることすら困難といっても過言ではない。しかし、自分で判断出来ない、自己決定出来ない子供が多いという。
 


 自分で、判断できなければいけないという意見がある。例えば、僕がボーイスカウトのキャンプに行った時、すごい過密なスケジュールの中、班
長になった。やってみてわかったことだが、班員のなかに自分で判断し、行動しない人がいるとその人に一々指示を出さなくてはならなくなって、
とても大変だ。みんなが、昼食を作っているときに一人ボーと立っている人がいると、その人に指示を出しながらフライパンを洗いながら包丁を人
に渡す、というような神業をやってのけなければならない。(こんなことができるのは、釜爺だけだと思うが、やらなければならない)その人が自
分で考えて行動してくれれば、フライパンを洗うだけで良いのに、仕事が倍以上に増えるのだ。しかも、時間までに飯が出来なければ、抜きになる
ことだって考えられる。このように、自分が自分の考えで、動かなかったばっかりに他人に迷惑をかけることもある。だから、自分で判断し、行動
 


 反対に、大勢の意見を聞いて行動した方がいいという意見もある。これは、他人依存にはなるものの、沢山の人の意見が取り入れられるので、何
かを決めるとき適している。例えば、学級で何かを決めるとき先生の独断で決められたら嫌だと思う。このように、大勢で決めて行動する方がいい
という時もある。
 


 「ことごとく書物を信ずれば、書物を読まない事と同じである」という名言があるように、人の意見をことごとく信じてしまう事は、いけないと
思う。人の意見を聞いて、その人が間違っていると思えば、自分の意見を通せばいいと思うし、あっていると思えば、その意見を参考にすればいい
と思う。大切なことは、自分で考えるか他人の意見を聞くかではなく、自分が良いと思うような行動をとって、それが成功することだと思う。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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