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独立と助け合いの両立
アジサイの広場
たば星人あころ中2


 ヨーロッパの強い市民意識は、非常にしばしば、せまくるしい、自己満足的な、そして利己的な臭いを発散させる。人の生活に無用に干渉しない
かわりに、自分さえよければいいという態度がほの見える。現代の日本人が、やがて自立的な個人のありかたという彼らの長所を身につける時があ
るにせよ、この短所までもいっしょに取り入れるのではつまらない。ヨーロッパ的市民性を模型として、個人の強力な自己把握を目指すなら、おそ
らく長所短所の分離的摂取は不可能である。全ては、日本人自身の内部からの力が湧いて、なされねばならぬのである。
 


 まず日本式の、個人の自立より相互の助け合いが大切だという考え方があると思う。例えば運動会を例に出してみると、もちろん個人種目の10
0M走などはあるが、たいていみんなで協力する競技があると思う。これは、やっぱり日本の考え方だと思う。この考え方の長所は、温かみが感じ
られるところだ。短所は、個人が独立していない事だと思う。例えば、特に女子に見られることだがよく連れ立ってトイレにいったりする。僕は、


「一人で行けばいいのに。」といつも思う。大体、連れだってトイレに行って何のメリットがあるというのだ。誘われて無理やりいかされる方はた
まったもんじゃないと思う。
 


 次に、ヨーロッパ式の考え方だが、これは個人の助け合いよりも個人の独立が大切だとする、日本と正反対の考え方だと思う。例えば、外国のサ
ッカーを見ても個人プレーが目立っている。これは、個人の独立の現れではないのか。この考え方の長所は、個人が独立していて平等であることだ
。短所は、独立しているかわりに助け合いが少ない事だと思う。
 


 それでは、個人が独立しているけれど助け合うような意識はどのようにすえば出来るのだろうか。僕は、このままの助け合いを保ったままで、(
より掛かり合いではない)一人一人が自分の考えをしっかり持ってそれを実行しようと努力すればいいと思う。「限られた人生で、大事な事は、『
何をするか』ではなく『何をしないか』である」という名言があるが、それと同じように個人が独立するためには何かをするというよりも意味のな
い事を省いていった方が効果的だと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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