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努力で活かす アジサイ の広場
たば星人 あころ 中2

 自分の、研究の結果を発表するとき、「それでふと思いつきまして、…。」とは絶対にいえない。ふと思いついたという発想には、一言も触れず、データ
に基づいた「論理的」推理を展開する形を取ることによって、この研究も私自身も、「科学的」な体面を保つことになった。これが今までの科学と科学教育 の落とし穴である。幸いにして近頃は、多くの人がこのことに気づき始めた。しかしコンピューターによるデータの処理・解析が普通になった今、振り子は また以前の状態に戻る可能性がある。今大切なのは、科学も技術も、普通思われているのとは異なって、ずっと人間的なものなのだということを、深刻に意 識する事である。  

 確かに、偶然ひらめいてそれが元で、成功する事もあるだろう。しかしそれはただ単に、思いついただけのことではないと思う。その陰には、エジソンの
いうように99%の努力があったからそのひらめきを活かせたのだと思う。もし努力がなかったら、ひらめいてもそのひらめきを十分活かせないと思う。僕 は、昔(そんなに昔ではない)こんなことがあった。それは、一年生(中)の時の二学期だった。授業で、一次方程式の応用をならっているとき、のことだ った。まだ具体的には解き方をならっていない問題を  「とりあえず解いてみなさい。」  

 といわれて、やってみた当然なかなかできない。
 

 「・・・・・?」
 

 この連続だった。しかし途中で、こうやったら良いんではないのかな?というような、ひらめきが起こった。その方法は、できなかった。が、その方法を
ヒントに新しい解き方が思い浮かんできた。その方法は、成功だった。この成功は、今までの積み重ねだと思った。確かに、ひらめくだけならできるだろう が、そのひらめきを活かすか、殺すかはその人の努力の仕方によって違ってくると思う。  

 ニュートンがリンゴが木から落ちるのを見てひらめいたという話は、よく聞くが、その裏にはやはり、すごい努力があったのだと思う。「経験は最良の教
師である」という名言がある。経験を積むこと=努力は最良の教師なのだからたくさん努力すれば、ひらめいたときでもちゃんとそのひらめきを活かせるの ではないかと思う。                                                
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