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うそ アジサイ の広場
由希子 あとえ 中2

 フィクションの書き手は、フィクションが多ければ多いほど真実に近づいていくという。しかし、ノンフィクションは、創らぬという約束の上に成り立っ
ているジャンルの文章なのだ。ノンフィクションのライターにできることは、事実の断片を収集することでしかない。「人間」の混入は不可避である。それ はこの世に万人が認める唯一無二の絶対的な事実があるのではなく、個人にとっての事実しかないという立場を承認することでもある。つまり、ノンフィク ションとは、事実の断片による、事実に関する一つの仮説にすぎないのだ。  

 フィクション、ノンフィクションという言葉があるが、私はうそをつかないノンフィクションの方が好みである。その理由として、フィクション...つ
まりうそばかりでは友達関係とかに溝ができると思うからだ。  

 友達関係というのは結構難しいもので、嫌われるようなことをしすぎるとみんな離れていってしまう。私の友達も、人のあまり悪くないところまで悪く強
調して悪口をいうのであまり周りからの評判がよくない。ある子は、その子の前ではにっこりとしていてもその子が通りすぎると「なにあいつ。友達と思っ とん?」と言うような感じで少し恐ろしい。そんなことがあって、私は友達関係というものは少しの勘違いで今まで仲の良かった友達と仲が悪くなったり、 うそをつきすぎるとみんなに嫌われると言うことを知った。  

 しかし、「うそも方便」ということわざがあるように、人に迷惑をかけない自分のため、人のためにうそをついてしまうというのは別にそんなに悪いこと
ではないと思う。  

 「こぶとりじいさん」という昔話がある。その話は、こぶをもった良いおじいさんが、偶然おににこぶを取ってもらうという物語だ。その話には、良いお
じいさんがうそをつくシーンがある。おにが「また一緒におどろうな。またくるまでこのこぶは預かっておく。」とおじいさんのこぶをとった。おじいさん はこぶが嫌だったのでラッキーだった。そのとき良いおじいさんは考えた。「またきたらこぶをかえされてしまう。ということは、もうもどってこなければ いいんだ。」と。おじいさんはおにに、「わかった」といいその場を去る。私は、良いおじいさんは本当に得したなあと思った。こんなうそだったら別につ いてもいいよなあと思った。  

 確かに、うそはついてはいけないと思う。だから、ノンフィクションの方がいいと思う。しかし、世のため人のためというのならうそをついてもいいと思
う。それに、もしフィクションがなかったら、ドラマもないし、マンガもないだろうし、何よりも本当のことをいって人を傷つけてしまったりするのでそれ も大切だと思う。私の結論は、世のため人のためというのなら思いやりを持ったフィクションでもいいと思が、必要以上にフィクションを使わない方がいい と思う。だから、フィクションもノンフィクションもほどほどにする方がいいと思う。私は、うそも時と場合によって使い分けていきたい。                                                
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