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比喩について ウグイス の広場
しっぽ ほし 中1

 落ちて来たら
 

 今度は
 

 もっと高く
 

 もっともっと高く
 

 何度でも
 

 打ち上げよう
 

 美しい願いごとのように
 

 この詩のいのちは、美しい願いごとのようにという「比喩」にある。
 

 作者は、この詩について「風船はどんなに高く打ち上げても、それは地に落ちる」「願いごとの多くはむなしい」というニュアンスから、どうしたら抜け
出すことができるかに努力したと述べている。この詩を読むと、紙風船が落ちてくるのに目をとめるより、何度も打ち上げるそのことに生きる証を見つけよ う、というような祈りに似た詩の心が伝わってきて、励ましさえ感じられる。  

 さて、なぜこの詩を読むとこのような気持ちになるのだろう。それは比喩が上手に使われているからだ。
 

 例えばこの詩を比喩が使われていない詩に変えてみよう。 夢ってすごい けどむなしい
 

 夢が叶うことなんて めったにないけど 叶うまで祈り続けたら
 

 ちょっとは救われたような 気持ちになるかもね ……さてこの詩のどこに魅力があるのだろう。比喩を使わないとこんなにもみすぼらしい詩(?)になっ
てしまうのだ。だから、私も比喩を使うことはとても良いことだと思う。確かにこんなにすごい比喩はめったに出てこないだろうが、結構日常的に使ってい るものだ。  

 ほとんどの人が知っている『一寸ぼうし』。私が小さい頃は、イッスンボウシってなんだろう?と思っていた。なぜなら、一寸の意味がわからないからだ
。そのうち、どうやら小さい男の子のことらしい、ということはわかった。けれども、どのくらい小さいのかわからない。絵本には『一寸程の大きさ』とし か書かれていなかった。 そこで、幼稚園の先生に聞いてみた。すると、 「そうねえ……。先生の親指の爪ぐらいかなあ……。」  

 と教えてくれた。その時始めて一寸ぼうしの意味がわかったのだ。 もうひとつ。中学受験の面接の練習の時に、担当の先生から指摘されたことがある。
それは歩き方だ。私はどうも緊張したり、初対面の人の前だと、歩き方がこまごまとしてしまう。 「あのねえ、君ねえ、歩き方がペンギンさんみたいだよ ……。」  

 「えっ……!(ズガーン)」 その後、何度やっても歩き方はペンギンさんのままだった……。 このように比喩というものは日常的に使われている。ただ
数字を並べて表せば良いのに、わざわざ比喩を使うのは、そのほうがわかりやすいからである。私も比喩を使うのは良いことだと思う。比喩を使うことによ って、表せないことも表せる。また、表したくないことも表さなくてすむ。私はもっと比喩を使う機会が増えるといいな、と思う。  

 
                         
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