先頭ページ 前ページ 次ページ 最終ページ
花を咲かせよう? アジサイ の広場
杉田大岳 うい 高2

 人間は、植物が花を咲かすように、なにかしらのことで能力を開花させるのには、多大な労力を使う。特に日本は早期教育ということに重点が置かれ、そ
れをより早く行なおうとする。しかし、そうすることによって人間の長い間に行われる蓄積というものは、明らかに足りなくなってくる。  

 それは往々にして、管理社会の徹底、日本においては各人の画一化による。つまり、元々高いレベルに平均を設定して、共通してその事だけに当たらせる
。そして、そのレベルに全ての人間を至らせようとする。そのような教育方法は、全ての人間が、能力を開花させるまでの栄養をつけることができるかもし れないが、開花した後は喪失感や過度な疲労感を負うかもしれない危険がある。つまり、長期的な面で人間が蓄積していくものは、放棄されてしまうのだ。  

 私は人間がこのような蓄積の足りない生活をすることに、警鐘を乱打する。なぜなら、このような蓄積こそが人間の本質的な開花であると思うからである
。確かに後者の本質的な開花は、それが為されることが非常に遅い。しかし、早期に能力を開花させることが、短絡的で応用性がないのに対し、長期的な蓄 積による開花は、文字通り長期的で応用が効く。つまり、我々は表層的な開花にばかり気を取られ、結果が分かり難い長期の蓄積を軽んじているのだ。  

 
                                                   
ホームページ