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理想の父 アジサイの広場
由希子あとえ中2

 父が父でなくなっている。父が父の役割を果たしていない。「友達のような父」のなってきている。そういう父のしつけは、自由放任である。その父親の
子供は、「自由な意志」はをもつようになるが、「よい意志」をもつようにはならない。精神力がなく無気力になりがちで簡単に「不登校」になったり逆にわがままになると「いじめ」に走ったりする。父とは子供に文化を伝える者である。伝えるとはある意味では価値観を押しつけることである。自分が真に価値あると思った文化を教え込むのが父の最も大切な役割である。しかし対等の関係では、文化を伝えることも、生活規則、社会規範を教えることもできない。「物わかりのいい父」は父の役割を果たすことのできなくなった父というべきである。 

 私は、やっぱり父親というものには、威厳を持って欲しいと思う。
 

 ドラえもんというマンガに出てくる「かみなりさん」は、父?おやじのなかで一番威厳のある人だと思う。なぜなら、いけないことをしたらきちんと怒っ
てくれるからだ。のび太達は、よく野球やサッカーをしていてガラスを割ってしまう。しかし、もしそこで「かみなりさん」がのび太達を怒らなければ、ガラスを割ってしまったという罪悪感は残らないだろう。そういう時にきちんとしかってやれて、こういうことはしてはいけないということを教えてやれる「かみなりさん」はおやじとしてすばらしいと思う。この逆...つまりおやじが子供を甘やかしていくと、今の「いじめ」とか「逆切れ」とかが起こるのだと思う。小さいときからきちんとしつけをしておかないといけないと思う。 

 しかし、友達みたいな父親というのにも、あこがれる。
 

 私の友人の父は、友達みたいな感じで、子供っぽい人らしい。いつも友人に「ヘリコプター、飛ばしにいこう」と誘うらしい。友人は迷惑らしいんだけれ
ど、私はとてもそれがうらやましい。私の父だってたのべば遊園地とかつれていってくれるけれど、父から遊びに行こうとはなかなか言ってくれない。わたしだって父とたまには遊んで欲しいと思う。だから、子供っぽい父親にものすごくあこがれている。 

 確かに、威厳を持った父であって欲しいと思う。しかし、友達みたいな父でもあって欲しいと思う。あまやかすばかりではなく、怒らなければいけないと
きはきちんとしかってほしいと思う。日曜日は遊んで欲しいと思う。私は、父とはりっぱで大きな存在であり、お手本であり、そして友達のように接してくれる尊敬のできる人だと思う。だから、私はどの面ももったみんなに自慢できるような父であって欲しいと思う。                         
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