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清書:レトリックと人間 エンジュの広場
千恵いうね中1レトリックと人間 

 普段私達は、コインを丸い物とみなしている。人間の視点の自然な角度からみると丸いので、「コインは円形だ。」という文を承認するのである。しかし
、コインはいつも円形に見えるわけではなく、水平方向から眺めれば長方形に見える。私達は日常において、いつもある視点から光景を見ている。レトリックとは、認識と言語表現の避けがたい一面性を自覚し、もっと別の視点に立てば別の展望がありうるのではないかと探求する努力のことである。レトリック感覚は、発見的な知識には欠くことが出来ない上、人をできるだけよく理解するためにこそ必要だが、相互理解のためにレトリック感覚が必要とされたことはかつてなかっただろう。 

 算数の問題で「空間図形」というタイプの問題があった。そのタイプで簡単な問題をあげると、「前から見ると三角形、上から見ると円になる立体がある
。この立体の名前をいえ。」私はこれが苦手で、問題をやっているとき、いつも苦戦を強いられていた。ちなみに答えは円錐である。 

 確かに、物事を一つの方向だけから見たほうが早く決まるのでよいかもしれない。しかし、人の心や物の見方はたくさんある。だから、レトリックが必要
となり、側面からものを見ることが必要になるのである。学級会などでもいろんな意見が出てきた方が、みんなが何を考えているか、クラスをどうすればよいのかがよくわかるだろう。残念ながら少し時間はかかってしまうが・・・。 

 
 

 
                        
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