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固有名詞 アジサイの広場
ひまわりあなつ高2固有名詞こそは、人類が様々な名前をもって分かれ、それぞれが自分に対立するものであるという事を思い知らせ、相互の違いを際立たせ、それを固定させる道具である。自分は自分であって、それ以外のものではあり得ないと主張される自分は、他方ではどこかに所属している。あるいは所属せざるを得ないこの原理は、名づけ、即ち、言葉の原理そのものから発しているように思われる。人間の所属が示すように、山も河も海も、名づけられると同時に、その領主 

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私達と最も身近な固有名詞は何かといえば、自分の名前である。この名前というものは、広くて、数えきれぬほどの人間がいる世界の中で、自分自身の存在をしっかりと確認する事の出来る、生きている印のようなものである。もしも、自分の名前達の名前が皆同じだったり、数字で番号ずけされていたりしたら、自分の存在がいっきにちっぽけなものいなってしまう気がする。それだけ私達にとって名前とは大事なのである。よって固有名詞はなくてはならないもの 

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しかし、名前をつけられる事が常に良いというものばかりではない。例えば、大学名などは、その名前のうらに様々なものが詰め込まれている。良く名が通っている大学出の人ほど就職が有利である、などという考え方はいまだに存在している。固有名詞は、ある時は、人にある固定観念を持たせてしまうことも 

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確かに、固有名詞というものはある時は、素直に考えさせる人間の能力を邪魔することがある。しかし人や物を強く位置づける事がでいるのは固有名詞なのであって、必要なものなのだ。日本は、固有名詞に、こだわらなくていいときにこだわるが、こだわるべきところではこだわっていない気がする。例えば、 

 
                         
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