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日本語の秘密 オナガの広場
俊輔あやゆ小6

 「桜前線」という言葉があるが、この言葉はいただきかねる。花便りの言葉も、微小感覚を表し分けて、まことに風情に富んでいる。ところが、枝を離れた
花びらを見ていて、これが地面に達するまでの間の状態を、ぴたりと表す言葉がないことに気づいた。もし日本語にあの美しさを表す言葉がなければ、それは日本語の語彙の貧弱を意味すると、考えされられた。 

 例えばA君が運動会の徒競走で、絶対1位になれると自信を持って徒競走に出たとする。そのことを聞いた親はもちろんうれしくなる(はずだ)。ついにA
君が走るときがきた。そして走った。当然A君は1位だ。親もがんばれと応援する。ところが、A君が転んで最下位となってしまい、さらに泣き出してしまったとする。こんなA君を見て親は(おそらく)言葉に表せないほどがっかりし、また、恥ずかしくなってしまうだろう。このように、日本人は、その時、その状況に応じて日本語が上手く言い表せないときがある。僕もそのような体験をしている。学校の給食の時間のときのことだ。その日はスープであった。僕がスープを飲もうとしたとき、僕の隣りの人と、僕の前の人がケンカをしたのである。突然のことだったので、僕はいきなり隣りの人に押されてしまい、スープをこぼしてしまったのである。幸い、洋服にはかからなかったが、ナフキンなどがスープの汁でものすごい状態になってしまった。まるで、大洪水のような状態である。あまりのひどさに僕は言葉で言い表すことができなかった。 

 ドラえもんで、よくすねおがのびた達に自慢話をする場面がある。すねおは毎回(でもないと思うが)すごくうれしかったよ、と言う。人間は、すごくう
れしかったときでも日本語で上手く言い表すことのできないときがあるが、すねおは、そのことでもすらすらとのびた達に言っている。本当はうれしくなかったのかもしれないが、もし、本当にうれしかったのだとすれば、すねおは少し人間ばなれしているような気がする。 

 日本語には共通語と方言がある。共通語は一般的なので分かりやすいが、方言の場合は分かり辛い。僕は関西に済んでいたので関西弁は理解できるが、東
北などとなると全然言葉の意味がわからなくなってしまう。ぼくのしりあいにとうほくのひとがいるが、全然分からなくなってしまう。外人が日本語を学ぶときは苦労するだろうなと思った。 

 日本語には、1つの言葉でもいろいろな意味を含んでいるものが多いということが分かった。
 

 
 

 
                       
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