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生きているということ アジサイの広場
○○○○うい高2

 ものに心があるかということは、ただ単にものは我々人間と同じような行動をとるのか、ということではない。なぜなら全てが人間と同じような行動をプ
ログラミングされているだけかもしれないからだ。それは、我々人間同士にも言えることだ。なぜなら、自分が感じているようなことを、他人が感じているかなど分からないからだ。結局私達は、自分以外の他人になったつもりで、相手の感情に共感しているだけなのだ。 

 しかし最近、他人の感情に共感しないという子供達が増えてきている。その顕著な傾向は少年犯罪の増加に見られる。犯罪を犯したときに、彼らは自分を
被害者に重ねて、相手の感情を理解しようと思わないのだ。痛いだろうか、悲しいだろうか、大変だろうかなどと。子供だけでなく大人にもまたそのような傾向が、ゴミの増加で感じられる。ゴミを捨てるときなどに、まだ使えるのにもったいないだとか、ものが可哀相などと考える人間は極端に減った。 

 犬は今も昔も、日本人にとっては友といえる動物である。犬は人間の感情を理解し、物質的な面以外は何ら人間と変わらないと考えられている。特に最近
はそれがより強さを増している。現代の社会が人間の交流を少なくしたため、人間同士の意志の疎通が得られなくなり、一番身近にいるペットである犬に感情を見出した。しかし、外国、特に西洋では、犬に対してそのような考えをもつのは、考えられないことであるという。犬はあくまでも人間の補佐を旨とし、ある一線は決して越えないのだ。 

 ものに感情があるのかどうかはわからない。なぜなら、ものよりも遥かに近い人間同士でさえ、わからないのだから。しかし、感情があるとみなせるのが
大切なのだ。そう思えるということが人間としての特権であるし、ものと生きていく最良の方法であるのだ。魚、鳥、虫などの動物や植物だけでなく、ものにたいする謙虚な配慮。そういうものを持ってさえいれば、今日の環境破壊という失敗は起きなかったはずである。 

 
                         
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