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日本語の複雑さ アジサイの広場
おこじょあめお小6

 どこの言語も初めは部族言語なのですが、それが外国に広まりだすと、外の視点が入ってきて言語の刈りこみが行われてくるわけです。その刈りこみがは
なはだしいのが英語です。日本語はまだこの部分が少ない。日本語の辞書は、ほとんどすべて日本語を内側の視点からしか見ていません。ですから、日本語国際普及の一つの大きな課題は外の視点を取り入れた日本語辞典をつくることです。フランスでも、十六、十七世紀のフランス語は、植木屋の手の入らない日本語みたいな状態にありました。外国人がフランス語を学ぶのが易しいのは、人工的に整理されたフランス語だからです。日本語にはそれがないのです。ですから、日本は、これからどうやって日本語を刈りこんでいったら、国際普及の日本語になるかということを考えなければならない。 

 日本語はとっても複雑である。英語では、<I love you>という言葉でも、Iと言う文字は自分を指す。英語では自分を指す時はそれしかないのに、日
本語では、 

 「おれ」とか「私」とか「ミー」だったり「自分」や「おいら」などといっぱいある。それだけ、表わしにくいが、良い点もある。自分の事を表わしたり
、日本語独特のものもある。 

 他にも日本語の複雑さがある。私がだれかに謝る時も
 

 「悪かった。謝る。」と言うのと、
 

 「悪かった。謝れ。」というのでは、全く違う。母音が違うと、意味がとっても違う。これも日本語の複雑さだと思う。
 

 
                       
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