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アジサイの広場
たぬきのと中1話し上手の人がいます。しかし、その人をおしゃべりとは呼ばないだろう。そのことを考えると、おしゃべりの人はとかく「間」をとることに気がまわなかったり、「間」の必要を感じなかったりする。話し上手の人は、意識して、あるいは無意識のうちに、うまく「間」をとり入れている違いがあるように思う。余韻とか余情、ふくみ、それらはすべて、「間」のいかし方ににかかわっているように思われる。思わせぶりな「間」は、いい余韻にも余情にもならない。とすると、自然に「間」を必要とするのは、必要とするだけの実質をそなえているもの、ということになるだろう。「間」をとることは大切なことだと思う。 

 間の取り方の例がある。たくさん、ひっきりなしに、ぎっしりと間がなくしゃべるのと、ちゃんと間を取り、肝心なことだけを話す方が、印象には残る。
間がなくぎっしり話すと、話している人の頭の中は混乱してしまう。 

 日本と外国の絵には間の違いがある。ヨーロッパの絵の「モナリザ」には背景に何かが描かれている。日本の絵には余白があったり、間があったりする。
そのために、日本の絵はそこに描かれている絵に注目してみられるのだ。 

 こんな理由から間を取るのが大事だと分かる。
 

 それに間というものがなくなってしまうと余裕というものもなくなってしまう。
 

 間というものはとても大事だと思う。間があることによって余裕が生まれてくるからだ。
 

 
 

 
                      
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